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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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母恋月・・・(前編)
時計が12時を過ぎ、母の日になりました。
そして今宵は満月の夜です。

私の座る位置からも月が朧気に輝いて見えています。
母へのカーネーションの色が赤から白に変わってから、15回目の母の日となりました。

幼い頃の思い出・・・。

東京の空にも月にはありました。
京急の電車が走る、小さな駅にも賑わう商店街がありました。
小さな町でありながら、沢山の人で賑わい人々の生活の基盤となりながら、どこかテーマパークのような要素を兼ね備えた街。

幼い頃の思い出を人様に語ることなど、以前の私では思ってもみなかったことですが、幼かった頃の記憶を蘇らせ、こうして語れるまでになれたのは他でもない、先生の存在があるからだと思っています。
幼い頃の先生も似たような町で育ったからかもしれませんが、私達は出会う前から同じ景色が見えていたような気がします。
 
商店街には色々なお店がありました。
私は商店街の真ん中に位置する小さな靴屋の娘として産まれました。

住まいは狭い路地を入った店の裏手にありました。
商店街には幾つも細長い路地があり、人々の住居スペースとなっていました。

玄関一つ、トイレ一つ、もちろんお風呂は銭湯通い、台所も共有スペースの4世帯が住むアパートの六畳一間が、私達家族の住まいでした。
今で言えば一軒屋に4世帯が寄り添って暮らす、マッチ箱ほどの小さな世界でした。

父は茨城の田舎から17歳で上京すると、靴屋の丁稚となりました。
丁稚時代に暮らしていた部屋は、窓の無い3畳に3人で住んでいたと聞かされた時は、農家の本家で育った父がこんな暗く狭い部屋で暮らすなど、さぞかし多くの苦労があっただろうと思います。

それでも父は夢である自分の店を持つ為、懸命に修行に励みました。
けれど「丁稚の身で給金をもらえるだけでもありがたいと思え・・・」と平気で言うような親方の元では、誰よりも早く腕をあげたところで、到底、自分の店など持てません。

父はたまの休日を利用し浅草の問屋街で仕入れた品を闇で売り、小遣いは殆ど使わず、僅かな給金を貯めては闇金融を始めたそうです。
それでは満足行かず、仕入れた品物を田舎で売りさばきながら、売れた代金で作物を買い付け、また作物を生産させてブローカーまがいの商売までしてお金を貯めたそうです。

毎日、過酷な労働の中で、父の唯一の楽しみは、母の勤める店に通うことでした。
母は親戚の叔母の経営しているおでん屋を手伝っていました。

兄弟11人、家族の多い貧しい暮らしの中で育った母。
母のすぐ下の妹は父親の妹(叔母)の元に貰われて行き、豊かな暮らしを送ります。

兄弟達は誰もが「私が(俺が)貰われっ子になりたかった」と親の前で平気で言うくらいですから、貧しさが心を蝕み、誰もが切なさの境地に達していたのだろうと思います。
でも母だけは、「おかあちゃんの傍がいい」と思ったそうです。

母は成長するに連れ器量良しとなると、おでん屋の看板娘となり、叔母さんにもお客様にとても可愛がられたそうです。
と、母は言っていましたが、 私の知る限りこの叔母は、舌切りスズメの話に出てくる悪いおばあさんよりもっともっと意地悪で悪毒見えました。

母は幼い頃から歌が上手で踊りも好きだったそうです。
長年、土佐周りの一座で生計を立てていた祖父方の影響かもしれませんが、普段は人を押しのけて話すことを嫌う母でしたが、芸事になると途端に人が変わったようになり、動じることもありません。
 
おでん屋と言っても酒場である以上、男性からの誘いも多く、十代の母には好ましい仕事ではなかったようですが、叔母から出してもらう三味線、長唄、踊りの稽古賃が、当時の母にとっては捨てがたかったのでしょうね。

叔母が稽古賃を出したのも母の為と言うより商売だと思うのですが、でも私の母は人の心の裏側を探る人ではなく、稽古に行く時間が嬉しくて、叔母に感謝していたそうです。

おでんや店ではいつも着物を着て、三味線を弾き、長唄を唄う母。
そんな母に惹かれた父は、毎晩のように通うようになったそうです。

けれど店を立ち上げる資金を貯める身にとって、毎晩の酒代はかなりの痛手です。
だから父がいつも決まって注文するのは、ビール一本とおでんのがんもとちくわぶだけだったそうです。

母の元に通うには金銭的苦労もありましたが、父のライバルは多く、銀行員、大会社に勤めるサラリーマン、公務員と、どの人も結婚条件にはもってこいの好青年ばかり。

父は給金が入ると問屋街で買った珍しい菓子を叔母の元へこまめに付け届けをして、やっと店のカウンターの一番奥の常連指定席(母の前)に座れるようになるまでには、相当の時間と苦労があったようです。

それでも母は、父が店に来たその日から、ずっと父が好きだったそうです。 
叔母にわからないように、こっそり付き出しの量を増やしたり、一番、汁の沁みている、がんもをこっそり隠して出したり・・・。

そして父も同じ・・・。
叔母の付け届けとは別に、おあいそする機会を見計らって、こっそり母だけに雷おこしや煎餅を渡す。

お互いに惹かれあっているのがわかりすぎるのに、それでも父は自分の店を持つ目処が立つまでは、一切の愛を告げることなく、黙って母を見つめる日々だったそうです。

だけど母にも父の心が観えていたのでしょうか?
父との約束など何一つないのに、それでも叔母に勧められる男性とのデートで、どんなに美味しいものを食べさせてもらっても、観たかった映画に誘ってもらっても、心は晴れることなく父の顔だけが浮かんでくる。
何度も持ちかけられる豊かな縁談話にも、母の心は動かされることなく、ただ父だけを信じ、その日を待っていたそうです。

母の夢は、父のお嫁さんになること。
父の努力の介あって、目出度く靴屋を出すことことが出来ました。
そして父にとって店以上に念願だった愛する人をお嫁さんに迎えることが出来ました。

母の花嫁道具は大きなアルミ鍋一つでした。
家が貧しかったので、兄弟達もまともな結婚式を挙げることができなかったそうです。

父の生まれ育った家は旧家で、何代に亘り町長を勤めた家でもありました。
父は母が親戚達に恥ずめを受けないようにと、資金を出して立派な結婚式を挙げたそうです。

開店と結婚式を同時に貯めたのですから、並大抵の努力ではなかったと思います。
でも母は父の苦労を一切知らずにいたそうですが…。

弱音や愚痴を吐かない父だから、いつも冗談ばかりいって母を笑わせます。
そのくせ「お前は呑気でいいなぁ~」というのが父の口癖でしたが、でも父は母の笑顔を見るためなら、どんなことだってできる人でした。
父は今でも「それだけが俺の自慢だ」と豪語しています。

本来の父は頑固者です。それにとても厳しい人だし、怠け者が大嫌い。
でも父にとって母だけは、いつも特別な存在でした。

母は嫁入り道具の鍋をとても大切にし、得意のおでんを煮込みます。
父の大好きながんもとちくわぶを煮るためにね。。。

父と母はいつも一緒に店に出ていました。
母はとてもヤキモチ妬きな人で、父が女性客と楽しそうに話をしていると、プイッとそっぽを向いて外に出て行ってしまいます。
女房思うほど亭主モテずでありながら、それに母の方が何倍も男性客からモテるのに、子供のように拗ねる母を誰よりも愛おしいと感じていた父。

昔「うるせいやつら」という漫画がありましたね。
私には母がラムちゃんそっくりに思えたものです。

だからと言って母が女性客に嫌われるか?と思えばそうでもなく、お客様はみな地元の人ですので、誰もが母の純粋さに微笑を捧いでくれるほど、日々愛を確かめあう二人に共感してくれていたのだろうと思います。
だけどね、こんなこと・・・我が家だけの特別なことではなく、商店街に暮らす周りの夫婦もみな同じようなものでした。

どこの店に行っても夫婦を愚痴りあい、惚気合い、笑い合い・・・そして、心和み・・・暮らす街。
皆ふるさとを遠く離れた小さな街で、たまたま出会った他人同士が肩を寄せ合い生きていく、そんな優しい街でした。

一緒に店を持つ、共に商売をする者にとって衣食住、金銭、時間、そのどれをとっても二人の共有財産であるのです。
だから商売人夫婦は、心中する覚悟がないと一緒にはいられません。

ただ人と暮らすだけなら、同じアパートの一つ屋根に住む偽家族とも暮らせますが、共に生きるということは、愛する者同士がお互いを信じあい、愛することで満たされていくのです。
貧しさや苦しみに耐える日があっても、共有する時間が心の豊かさとより、日常生活をより豊かにしていくのが、本当の夫婦のあり方なのでしょうね。

ある日、心貧しき人が「愛では飯が食えない」と母に言いました。
けれど普段内気な母が引き下がることなく「愛がなくてはご飯もいらない」と言いました。
母は父の傍にいられるだけで、本当に幸せだったのだろうと思います。

何度も大病を患う父でした。
母はそのたびに父を失うことの恐ろしさに心を震わせ、「私の命以上にパパが大切」だと言いました。
「人にはどれほどの寿命があるか?わからないけれど、でも分けられるのなら、パパにあげたい…」と何度も願ったそうです。
そして誰よりも母を思う父は、「俺にもしも?のことがあったら、お前がママを守ってくれ・・・」 と病の度に言いました。

父の言葉が命令だったのか?それとも願いだったのか? 幼い私にはよくわからなかったけれど、私が初めて店番を手伝ったのは、幼稚園の時からでした。

私には3つ違いの弟と九つ違いの弟がいます。
本来なら男である弟に申し付ける事を、私に言うなんて納得はいきません。

「お前は人より少し賢い。その辺のへなちょこ男に負けるはずがないのだから、俺が居なくなったらお前が家族を守れ・・・・」

男として生きる道は、どんな生き方であるべきなのでしょうね。
でも男以上に賢く生きなくては、そう・・・私には守るべき者達がいるのだから・・・と思い込まされるのですから、私は父に洗脳されてしまったのかもしれません。
つづく・・・
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母恋月・・・(後編)
父には幼い頃から厳しく育てられました。
本来は誰よりも優しい家族思いの父でしたが、商人根性を仕込むとなると、相手が子供であろうが大人であろうが関係ありません。

けれど、幼い頃の経験があって今の私の日常生活に役立っているのですから、若い頃の苦労は買ってでもしろ!というのは名言中の名言ですね。

私が商売を覚えるようになったのは、母には幼い頃から勉学という環境がなく、「頭を使う暇があるなら、体を使って稼げ」と言われ育って育ったからだと思います。
漢字も読めない、計算も出来なかった母を、父が心配するのも仕方の無いことでした。

時代は移り変わり 靴を買うのは大きな町の高級店へと人々が移行すると、店は靴屋ではなく安呆けたサンダル屋と化していきました。
このまま店を続けていけば、いずれは資金が底を付き 借金だけが加算でいく一方です。

商店街の真ん中に落ちる夕陽に染まる母の笑顔が灰色に変わり始めると、父は大切な者達を守る為、店を閉める覚悟を決めたようです。

ある晩、銭湯の帰りに母と二人で晩秋の月を眺めて歩きました。
「おかあちゃん・・・」 母が月を見上げて呟きました。
母の眼に潤んだ月が写って見えました。

「ママ、哀しいの?」
「ううん・・・哀しくないよ」
「そう…ならいいけど…」

それから、しばらく無言のまま二人で月を見上げて歩いていると、母がポツリポツリと話し出しました。

「あのね、今、月の中におかあちゃんの顔が見えたの・・」
「へぇ?どんな顔してたっ?」
「うん、それがね、おかあちゃんの顔が途中からパパの顔になった」
「えっ!パパは死んでないでょ・・・」
「うん、パパは月にはならないの。 だけど私は月になりたいなぁ? 月になればね・・・ ・・・ 」

その後の言葉はよく聞こえませんでした。
いつもこんな調子で訳のわからないことを突然いう母でしたので、またおかしなことを言い出したと思い、あえて真意を聞き直すこともしませんでした。
いつもそう・・子供のように甘える母、私は誰よりも父に甘ったれて生きてる母が嫌いでした。

それに母は持病に喘息があっても、今まで大きな病気一つしたことがないのです。
そんな母が父より先に逝くわけがないと思っていました。

私は父の願いである母の為に頑張っているのに、ありもしない妄想の中の悲恋話にまで付き合わされるなんて、いくら大切な家族であっても、母は呑気過ぎる。
だから、女という生き物は嫌い・・・。
誰かに依然しなくては、生きられない女など野良猫にも劣ると思っていました。

それでも母は私がイライラしていることに気付くことなく、「●●ちゃんが大人になったら、パパのような人と結婚してね・・・」と諭し、月の光を背に受けた月光観音のように、それはそれは慈悲深い涙を独り勝手に流しています。
でもね涙に気を取られた私を平気で置いけぼりにして、スイスイ歩き出す母の身勝手さは、他に類を見ない自分勝手女だと思いました。

(でも何故母は、こんなにも愛されてるのに涙を流すのかな?) 

母は急に振りると、私に言いました・・・。

「私ね・・・幸せだなぁ・・・と思ってるの。パパに出会えて本当に幸せだなぁ~といつも思ってるのよ」

「だからね、きっと死んだおかあちゃんも同じかな~と思って…。ちっとも働かないおとうちゃんだから苦労ばかりの人生だっけど、でもおかあちゃんはおとうちゃんのことが好きだったから、最期まで家族の為に頑張ってこれたんだと思う」

男に勝る女になれ!と父に教えられている私に、いまさら無力な独りの女に「女の人生」は男によって満たされるものだと教えられても理解できません。

お陰で私は大人になっても男女の愛に纏わる理論がわからず、 先生に出会うまで母の言葉の深い意味さえ見つけられないまま、ただ呆然と人生の矛盾の中を彷徨っていたのかもしれません。

この日の記憶が消えてから、月は何度も静かに生まれ変わり、59歳の若さで父の元から去って逝った母。
まるで予想外の出来事に、自分の命の時間を父に分けてあげたいと何度も願った母の思いが、神に届いてしまったのではないか?とさえ思いました。

何もかもが許せなかった。
でも一番、許せなかったのは、私の心の貧しさでした。
だから母への思いは、誰にも語れませんでした。

もちろんそっと聞かれたら、そっと話しだそうと思う気持ちはいつもありました。
でも誰も聞いてはくれませんでした。
母のことも、懐かしい商店街のこともね…。

今ある環境に私の過去など必要ありません…。
でも過去から現在、そして未来へと道は繋がっていると思うと、せめて愛する人くらいには、知って欲しい思い出もありますよね。

母が入院先の病室から眺めた月は、どんな形をしていたのかな?
きっと毎晩、独り月を見上げては父を思い、溢れる涙が頬を濡らしていたでしょうね。
何度、父の名を呼び、何度、父に逢いたいと、月に縋ったことでしょうね。

結局、私は何一つ守ることが出来なかったけれど、先生と出会えて始めて母の言っていた「女としての幸せ」を知ることが出来ました。
今、空を見上げれば、母恋月には母の笑顔が映っています。

カーネーションの花言葉。。。
赤は「純 愛」、そして白は「私の愛は生きている」とあります。
きっと母の愛も、父の中で生き続けていることでしょうね。

母の日に母はなくても、母を思う気持ちに変わりありません。
月が母の顔から先生の顔へと変わりました。
私を翳す月の光が、今夜はやけに潤んで見えます。

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一途だからできること
過去記事より引用 (2011年2月20日に書いたものです)

先週は木曜日に先生に逢いに行きました。
最近、新たな馴染みの店となりつつある中華料理店に行き、マスターから紹興酒のボトルと杏仁豆腐をご馳走になりました。
この店に一歩入ると、どこでもドアで本場中国にいる気分になります。
日本人のお客さんと言えば、私達を除いて中国女性に連れて来られる同伴客くらいしかいません。

どこか妖しい雰囲気の店ではありますが、お客さまが殆どいないのにも関わらず、それでも経営できているのだから、きっと一般の人が眠りにつく頃から、新たな夜を迎え賑わう店なのだろうと思います。

先生と逢える日は、いつも楽しく過ごさせてもらっています。
私の喜びが伝わるのか?…
先生と一緒に出会う人達には、とても優しく接してもらっています。

二人がいて二人が楽しめるようにとの心遣いに感謝しながら、私はいつも先生を見つめる。
だから先生がいなくなったら、見るもの聞くものが独り分になってしまうと思うと、何倍も寂しく感じると思います。

恋愛に関して日々ラブストーリーを綴るのは結構至難の業で(笑)、ネタとした気の利いた物語ばかりあるわけではありません。
毎日が記念日だけど毎日が初舞台ではないから、馴れた感性の中で言葉にしない大切な感情もあるしね。

二人なら単語一つでわかることも、単語一つを説明するのに何行も必要としなくてはならないものは、実はその殆どが文章から削除されてしまっています。
だから私はただ楽しい、嬉しいとだけ書いてしまうのかもしれません(*^^)v

それでも恋愛ブログです(エロブログかな???)

たまには気の利いたことも書かなくてはならない気がして(笑)
私が書くことに困っていると察すると、先生が「○○について書いてみたら…」と応援を出してくれることもあります。

今回は「宮城マリ子さんと吉行淳之介さん」についてでした。

お二人については、先生と色んなことをテーマに話してきました。
一途な愛、同士として、唯一無二の存在価値についてなど…語ればキリがないほど奥深さを持つお二人だと思います。

でも今回、私が書きたいことは、ねむの木学園詐欺事件についてです。
宮城まり子さんの口座から多額の現金が引き出された事件です。

(詐欺容疑で逮捕されたのは、作詞作曲家の広沢憲行容疑者、広沢容疑者が元学園職員の近藤由美子容疑者に引き出させていた銀行口座は宮城さん個人と学園のものを合わせて十数口座あり、被害総額は総額5億円に上るとみている)

ある記事にマリ子さんが事件に気付いたのは、昨年の六月だったと書いてありました。

昨年の六月???私の記憶に昨年の六月の感情が浮かびました。
岡山の吉備路文学館で『宮城まり子が選ぶ吉行淳之介作品展』を開催している時だと思います。
吉行さんは岡山で生まれた人だから、この地で17回忌をやろうとずっと思っていたのでしょうね。

関連ブログを読んで、「遺言状をはじめとした全ての展示物は簡潔でありながら愛らしくて…」とあったので、先生と行ってみたいなぁ~と思った。 でも岡山は少し遠かった。

「全著作権を宮城まり子に贈与する」

この一文が彼の遺言状らしいけれど、以前、先生と語り合った時の私は、この文面に憧れを持っていたような気がします。
心貧しい私は、愛が「形」となった一つのお手本として見ていたのかもしれない。

もちろん著作権譲渡=金銭的譲渡とは思ってはいなかったけれど、作家が作品の権利を任せてくれることに、彼の愛の深さを感じ取ろうとしていたのかもしれない。

先生がとある賞で大賞を頂いた日、私はとても嬉しくて、上野の空にも風にも感謝したい気持ちだった。
こんな感動の日を先生と迎えられたことが嬉しくて、また馴染みの店に行けば手厚いお祝いを頂いてまた感動。

大将とお母さんから送られたユリ(カサブランカ)の花束はとても重くて、歩くたびに香りが街全体を華やかにしてくれるほど優雅に香っていた。

一生懸命堪えていたけれど、お酒が入ると気が緩んでしまって、キャッチの男女と酔っ払いだらけの繁華街を歩きながら、「わんわん」と大声出して泣いちゃった。

「お前は馬鹿だなぁ・・・」

先生はそう言うと「もっと感動させてやる」と言ってくれた。
呑気な私が愚か者に見えてくるほど、とても厳しい顔をして先生が言った。
私は先生の日常の苦悩がわかるから、その言葉をとても重いものとして受け止めた。

あの日から、私は欲しがる物の殆どがなくなったかもしれない。
何もなくていいからね、何も残らなくてもいいから、先生がいつまでも私の傍にいてくれたらそれでいいと思った。
だから今更、岡山に行く必要もないと思ったので、先生に作品展があることも言わなかった。

確かに人を真似ること、人から習うことは、とても大切なことで必要なことかもしれない。
でも人間だから猿真似で終ってはいけないと、私は常に思う。

赤ちゃんは、最初意味なく笑うでしょ(笑)
でね、そのうちに微笑みを返してくれるようになる。
そして微笑むことが、お互いの喜びになることを知るんだよね。
大人になっても一緒だから、誰かを真似たらしっかり自分の行動として活用しなくちゃつまらないよね(^^♪

あれれ?話がずれちゃった…。
先生…、悪い癖だとちゃんと思っているけれど、癖ってなかなか治らないものだね(汗)

今夜私が書きたいことは、こんな呑気なことじゃないのに、どうも先生の顔が浮かんでくると気が緩んで浮かれちゃう。きっと私が思うより、私は先生に甘えているのかもしれないなぁ(^^ゞ

私は今回の事件を怒っている!…こうして書いている今も、本気でかなり怒っている。
それはね、詐欺事件に対してだけじゃないよ。

もちろん事件に対しては、怒り以上に学園の子供達が慕う人が今回の事件を起こしたことが悲しい。
そして被害者であるべき人(マリ子さん)を否定する人の心に触れれば、心はもっと切なくなる。

彼女は人を信じて騙されてしまったのだからね。
それを「老いたボケ」と書いていた人もいれば、養護施設を金儲けとしていたと書いていた人もいた。
彼女が口座にお金がないのに気付いたのが六月とすれば、去年の作品展を開くために、お金を引き出そうとしたのだろうと思う。
 
もし?彼女が金儲けに夢中なら、口座に残金が残り僅かとなる前に気付けたはずでしょ!?
施設のお金は、吉行さんの命の欠片でもあるから、彼女が大切に使わない訳ないのにね。

職人は苦悩する度に自分の命を削ってまでして作品を手がける。
今も彼(吉行)の命は、彼をお父様と慕っている施設の子供たちの命を生かしてくれているんだよ。
本当に大切な大切なお金なんだよ。

ねむの木学園を創ろうと思ったときに、彼女は彼と3つの約束をした。
  • 愚痴を言わない
  • お金が無いと言わない
  • 途中でやめない
「好きな人との約束だから、絶対に守ろうと思った」と今も生きている時と同じように、一途に彼を愛する彼女が、学園を大切にしないわけないよね。

彼女を批判をする人は、多くのことを調べて知り得てから、言葉を発したのかな?
ねむの木学園の子供たちが書いた絵を、一度だって真正面から見たことがあるのかな?

どの絵を見ても、ゆったりとした時間の中だから書ける作品ばかりだよ。
毎年どの作品をみても、どの子が書いた絵も、豊かな感性をしっかりと生かしてもらっている。

「慌てなくていいんだよ」 
「思うまま、自由に書いていいんだよ」

そんな優しい声まで一緒に聞こえてくる作品ばかりだよ。
見守る人はね、子供たちと同じ時間をいつも一緒に過ごしているんだね。

一枚の絵に百軒の家が書かれていても、家、色だけを先合わせて書き塗るわけでもなく、一軒ずつ、一窓ずつ、鉛筆、絵筆を置いて、一生懸命思案しながら、優しく書いているんだよ。

養護ではなく「愛護」だと彼女は言うのだけれど、世の中から愛されることが薄かった子供達が母と慕う彼女を批判できるほど強く豊かな人間なら、彼女の全てを引き受けてから否定すればいいよね。

ちゃんと顔を出して「俺なら…」、「私なら…」もっとこの子達を豊かにしてやる!と、ハッキリ言えばいいんだよね。
何もできない影ぼうしなら、せめて黙って静かに見守る優しさくらい持っていてもいいんじゃないかな?

世の中、批判や反論があって当然だと思う。
だから私は会社でもちゃんと「言いたいことははっきり言え!」とえばって言ってる(^^ゞ

その代わり、どうしたいか?どうするべきか?を伝える意思がないのなら、ただの愚痴などこの場で言うべきではないとも言っている。

だからね、会議であっても常に喧嘩が耐えないのだけれど、でもね、真剣に話し合う気がないのなら会議なんて決定事項の報告書だけ配れば十分だし、何も貴重な時間を割いてまでつまらない顔を突き合せている必要もないと思ってる。

他の会社はわからないけれど、意見することで自分の立場が不利になると考えてしまう状況に職場があるのなら、まずはそんな人間の下にいることを嘆げくべきだと思うよね。

「でも、そうできる人ばかりではないんだよ…」
うん、そう言われたことは、今まで何度もあるよ。

でもね、「どうしてそう思うのか?」聞いてみる。
「私を信じられないのに、私の指示に従って苦しくないの?」と聞いてみる。

私ね…、本当の強さは、優しさを沢山持っていることだと思う。
私はまだまだ人間としてはお粗末だから、事あるごとに感情が先走ってしまうけれど、先生と出会えたことで優しさに触れる機会が増えたと感謝してるんだよ。

この気持ちってね、感動なんだよね。
何も大それた出来事ばかりが感動を呼ぶのではなく、小さなことに気付けることで喜べることって沢山ある。
その感動を伝えられる人がいて、心と心がリンクした時の幸福ってね、かけがえのないものだと思うんだよ。

先生と出会ってから七年経って、以前よりもっとおばさん顔になってしまったけれど、眉間の皺は場所をかえ笑い皺へと移動した。
同じ皺でも場所が違うだけで、顔がちょこっと優しく見えるのだから、美的容姿なんてものは曖昧な判断かもしれないよね(^^♪

お越しくださった皆様へ…。

いつもご愛読いただきましてありがとうございます。
名誉もお金もない私が、こうして人様に心を伝えらているのも、日々応援してくださる皆様の支えがあってのことだと厚く感謝しています。

世間的に言えば不貞(不倫)をはたらいている女が語ることではないお題かもしれませんが、一つだけお願いさせていただけるなら、弱き人や手を差し伸べる人と出会う機会があったなら、どうぞその時は優しく接してあげてくださいね。

何気ない一言であっても、何気ない微笑であっても、いつまでも小さな思い出を胸に抱いて、感謝しながら生きている人も沢山いるのだからね。

何かをして損だと思うのではなく、何かさせていただることに感謝することができれば、人生は何倍も楽しくなると私に教えてくれたのは尊き神ではなく、同じ赤い血の流れた人の心の豊かさです。 

例えどんな試練であろうと…乗り越えたいと思う一途さを持つことで、辛い今があっても明日を明るい日と書けるのだと思います。
愛する人への思い、長年温めてきた感謝の気持ちを、これからも大切にしていきたい。
灰になるまで…

先生へ…
いつか私がもっと年を取り、世の中に流され心醜いと感じる時があれば、その時は菫の花を贈ってくださいね。 きっと宮城マリ子さんは、雛子のような女性なのかもしれませんね。

菫の花言葉は一途な愛です。
一途だからできることが、いつか深い感動に繋がるよう、これからもまっすぐ一本道で歩んでいこうと思っています。
美月 

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いつも応援ありがとうございます(*^_^*)

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嬉しいのに寂しい
さっき事務所から電話があった。

まあね仕事中の電話にロクなことがないから出たくなかったけど、出なくて済むものでもないから出てやった(笑)

以前、私が伺っていたお客様から電話があったと報告されて、現在の担当者のクレームかと思ったら、[長い間ありがとうございました〕と私に伝えてくださいとだけ言って電話を切ったらしい。

高齢の方で商品を使う必要がなくなったのでキャンセルしたらしいけど、商品をお届けする私達に感謝あっても、お客様にお礼を言われるのは有り難すぎるよね。

でもね、しばらくお会いしていないのに、覚えていていただけたことが嬉しかった。

ブドウ農家の老夫婦は二人とも偏屈者で無愛想だったよ。

だけどね、いつしか来るのを待っていてくれるようになった。

取れたて新鮮ブドウは美味しくて、疲労が見え隠れするこの季節にはとても有り難い。

広い土地を売ってお金持ちなのに、昔ながらのケチだから自分達は作ったブドウを食べないのに、ブドウ畑に連れて行ってくれて「あんたの好きな分だけ食べていいよ」と言ってくれた。

今、木になってる植物を口に直接運ぶんだもん、美味しくない訳ないよねo(^-^)o

私は遠慮するのが苦手で、相手から頂いた言葉は完全鵜呑みにしちゃう素直な性格だから、唇が紫に色付くほど好きなだけ食べちゃう。

美味しいものを食べさせてもらうと、途端に嬉しくなって懐いちゃう。

猫女と言われるのはそのせいかな…(^_^;)

「おはよー」と声をかけると、「おっ!慰問にきたね!」と毎回、来るのを楽しみにしてくれてたけど(訪問ですとは言うけどね…)、帰る時は「気を付けて運転しなさいよ」とキツく言われて帰った。

今さっき、お礼の電話を入れてみた。

おじいさんは死んじゃっていて、おばあさんは病院に入院することになったと、会ったことのない娘さんが電話の向こうで教えてくれた。

今度、ブドウの絵を添えたお手紙を書こうと思っています。

小さなご縁をいただいて、大きな感謝をいただきました。

先生…私、嬉しいのにチョッピリ寂しい気持ちだよ。
人の心って複雑だね(>_<)
美月

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私を受け入れて・・・
私を受け入れて…

どんなに広く愛されても私は真の幸福を味わうことがなかった。

ただ私が欲しかったものは、私の全てをありのまま受け入れてくれるたった一人の恋人だった。


今日のBSでアンデルセンに付いて番組をやっていた。
番組の最後しか見れなかったけど、赤い靴の結末が昔と今で違うのは、作者アンデルセンが許可したのかな?と思ったら、頭の中がアンデルセン一色になってしまった。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

人魚姫を書いた人は、なんて淋しい思いをこの作品に描いたのだろうと子供ながらに思った。

何かを失ったとしても、愛する人の傍にいたいと思った人魚姫。
博愛を受けながら、それでも最後は泡となって消えてしまう。

愛することが苦しいと…、まるで作者が語っているようだった。
なぜならそこには救いが描かれていたからで、彼は常に愛されたい(救われたい)と思っているのだと思った。

マッチ売りの少女は死(無)を幸福への希望とし、赤い靴は浮かれた自分を恥じながら、無になることで罪を相殺しようとしたのかもしれない。

だからね、赤い靴の少女は、踊りながら消息不明となったのでは物語は壊れてしまう。
足を斬られ不自由な体となり、自分の犯した罪を反省することで天に召されて幸福を得る。
これがアンデルセンの望みだったとしたら、物語を逸脱するのはとても惨いことのような気がした。

容姿のコンプレックスに加えて、孤独を好む人柄、そして独特の世界観が彼を恋愛から遠ざけたのかもしれない。
その他、白鳥の王子、親指姫にしても醜い存在を登場させることで、自分の抱えるコンプレックスを知ってもらいたかったのではないか?と思った。

アンデルセンが70歳で亡くなった時、王子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまでが葬式に参列して大騒ぎになった。

彼はこの事実を見ることが出来なかったけれど、もし?他者として葬儀に参列したとしたら、果たして幸福としたのだろうか?

これほどまで世界中で愛読されていたにもかかわらず、彼は三度失恋をした。

ラブレター代わりに自分の生い立ちから各国を旅した記録、童話作家としてデビューした理由、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴って送った。
極度の心配性もあり、彼の奇行が相手にとって相応しいものではなかったのかもしれないよね…。

でも私はこんなラブレターを一生に一度でいいからもらってみたいと思う。
そこに愛の言葉が繰り返し書かれていなくても、こんなラブレターを送ってくれる人の感性に惹かれてしまうと思う。

巡りあわせなど、ホントに不思議なものだよね(^^)v
そう思うと彼が愛する人に心から愛され満たされたら、そこからどんな作品が生まれたのだろうと思うと残念なんだよね。

きっと幸福だけを綴った作品は、他の作品より群集に愛されないかもしれない。
貧困、階級格差によって切なさを共有できるものが少ないだろうからね。

彼が幸福を書くとなればグリム童話のような俗説を交えた物語ではなく、完全な創作世界だと私は自分勝手に思っているから(笑)、天国でも地獄でもない私たちの知らない未知なる現世の幸福物語が描かれたかもしれないし、それとも作品を書かなくなってしまうかもしれないけれど、書かないことで事実を伝える感情もあるかもしれないよね。

もちろん彼が一人の女性から愛された上で、もっと多くの愛を望んだとしていいと思う。
だけどね…どんなに大勢に愛されたとしても、ありのままの自分を受け入れてもらえないと自分自身が悟ってしまうほど切ないものはないと思う。

占いは統計だとしたら、出会いは確率に近い。
だけどね…どちらか一方的な出会いでは、縁は成立しないのかもしれないね。

私は先生を好きと思う気持ちより多く、先生に出会えて良かったといつも思ってる。
もちろん出会いそれだけに意味があるとは思っていないけれど、この小さな偶然がなかったら、私は先生に気持ちを伝える機会に出会えなかったと思うと、先生が私と同じ時代に生まれてきてくれて本当に嬉しいと、そこまで思いが広がるよ。

子供の頃体験した切なさも無邪気さも、誰にも語らないまま終わってしまった気がするし、幸福がある種の恐怖をうむことを知らなかったことも知ることができた。

一人では狭かった世界がどんどん広がるんだから、毎日楽しくないはずないよね。
私は楽しいことが大好きだから、先生の傍にいられる今を大変嬉しく思っています。
美月(^_^)v

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