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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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先生に逢いに行きました
小春日和の昨日、先生と都内をお散歩してきました。

遠出も楽しいけれど、都会は人との出逢いが面白い。
本当に色々な人がいるけれど、ジャンル分けをした際、納まりの悪い人の数が増えてきたように思います。

上野で待ち合わせ、大塚から巣鴨へ…。
温和な陽だまりに身を任せ、色付く景色をなぞりながら、二人仲良く晩秋を楽しむことができました。

それもお昼ご飯に立ち寄った中華料理店の「おもてなし」に感動をもらったからかもしれません。

庶民値段でありながら、久しぶりに美味しい料理に出会えて嬉しかったなぁ。

それからお店で働く中国人(台湾人)の女性の明るく懐かしい接客に、子供の頃の近所の中華料理屋さんの風景を思い出し、懐かしい気持ちになりました。

今と違ってよほどの事が無い限り知らない町で食事をすることがなかった頃は、たまに行く近所の中華料理屋さんであっても、外で食事をすることがとても新鮮に感じられた。

外食は、普段、会話の少ない忙しい家庭の食卓とは違って、テレビのチャンネルが自由になら無い分、ちゃんと顔ちゃんと見て会話ができるから好きだった。

いつもなら聞いてもらえないようなくだらない話も、時間のゆとりが笑い話に変えてくれる。

それぞれのテーブルに花が咲き、店の人も周りに座る客も、みんな知り合いばかりなのだから、投げた言葉がポンポン飛び交う店内は自然と活気だって五月蝿くなってくる。

辺りが騒がしくなれば、それぞれのテーブルのトーンも釣られて高くなり、賑わいは増す一方だった。

たまに同級生に出くわすこともあった。

毎日、学校で会っているのに、場所が違うとお互いになんとなく気まずくて…、まして相手が男の子だったりすると、弟達の手前、声をかけるのが恥ずかしかった。

今思うと、私もかわいい時があったんだね(*^^)v

それにしても海老とイカのプリプリ春巻きは最高に美味しかったなぁ~。

先生が春巻きのおかわりを頼んだ。
美味しそうに熱々の春巻きを頬張る先生を見ていたら、なんだかとっても嬉しくなった。

人は美味しいものを食べると、ほっぺたと胃袋が柔らかくなるんだね。
お腹いっぱいになると幸せな気持ちになる。
楽しい会話と美味しい料理、食卓を囲むというのは、こうあるべきだよね。

たっぷり腹ごしらえした後、近くにあった天祖神社に立ち寄りました。

御神体は鏡でした。
本殿の扉が閉まっている神社が多いですが、天祖神社は鏡越しに自分の姿が映る珍しい神社でした。

一般的には、鏡は自身の心を映すとするのでしょうか…。
でも、私…鏡に映った自分を見た時に、願いは自分自身で叶えるものであると神のお告げを感じました。

あっ、だけどね…鏡に映ったのは先生と私の二人です。
うん、そうか…、私の願いは先生に出会えた時に叶っていたのですね(^_-)-☆

幼い頃、鏡の中のもう一人の私と会話をしてきましたが、いつしか鏡に映る自分も自分であることを知ると、鏡に尋ねることは少なくなりました。

その後、鏡の代わりを務めてくれているのが月です。

多分、他人こそが自分の鏡なのでしょうね。

鏡は、私の姿形を写すけれど、他人は私の在り方を映してくれる。

私が気に触ることをすれば、相手の顔は曇ります。

だから、私は先生が笑っていると何より幸せな気分になるのでしょうね…(^_-)-☆

巣鴨の商店街を反対側から参入した形になるのでしょうか…以前、巣鴨駅から入った道とは逆に巣鴨のとげ抜き地蔵はありました。

えへへ、可笑しな説明の仕方だと思われるでしょうけれど、私は極度の方向音痴な為、一度通った景色であっても反対の方向から見るとまるで違う景色に映ってしまいます。

…なので、知らない町に行くと大変です。

地方に行くと私は可愛い女になります。

「先生、私を置いて行かないでね…」と街に出る前からお願いしておきます(笑)

絶対に悪い子になりません。
普段は少々小生意気であっても?、知らない町では先生の言うことをちゃんと聞きます。

だって出先で先生と喧嘩でもしたら、絶対にホテルには戻れないもん。
後ろを振返りながら必死に道を覚えるつもりで歩くのですが、一、二度、角を曲がるともうわからない…(^^ゞ 

だから、先生の腕をいつも以上にしっかりと掴んで歩きます。
地方に行くと、不本意ながら私は可愛い女になりますが、先生はとっても楽しそうなのでそれもいいかなぁ~と思っています(*^_^*)

刺抜き地蔵では、お地蔵さんにお水をかける人達の長い列が出来ていました。

これから季節、水をばしゃばしゃかけられるお地蔵さんの心情を察するとちょっぴり気の毒になりました。

頑張れ!お地蔵さん…(*^^)v

そして巣鴨からホームタウン上野へ…

アメ横商店街は師走の買出しさながら大変込み合っていました。
今年も残すところ後一ヶ月…、時の経つのは本当に早いものですね。

…と、ここで勝手に一年を締めくくると残り一ヶ月を大切に思っていないと先生が怒るだろうから(笑)、晦日まで持ち越しにしましょうね。
美月
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取りとめも無いこと
今週が始まると、先生が年賀状製作で寝不足だと言っていた。

どんな年賀状が出来上がるのか?楽しみにしながら、出会ってから初めて先生から年賀状をもらった。

…もらったといっても、出来上がりを見せてくれたという方が正しいのだけれど、思えば、先生から年賀状をもらうというのもいいものだね。

「今年も宜しくお願いします」と記す書は、本来、身近な人へ送るべき言葉なのかもしれないね。

一年に一度、家族や恋人に感謝状を贈っても罰は当たらないだろうと思う。

日本人は照れ屋さんだけど、大切な人への感謝が最期の時になるのは寂しいね。

年賀状には、昨年、奥様を亡くされた深い悲しみ、その翌月には自らの癌が見つかったことが書かれていた。

悲しみを癒せる間もなく、自らの意思とは関係なく、次から次へとやらなくてはいけないことに追われていた。

毎日の仕事帰りの買い物にしても、慣れない家事にしても、時間の配分が上手くできず苛立つこともあったよね。

今も朝のゴミ出しは煩わしいでしょ、ずっとこんなことしなくてはいけないなら死にたいと言っていたよね。

先生は元の生活に戻すために必死で頑張っていたのだと思う。

振返れば、何を当てはめてみても胸が締め付けられる光景が浮かんでくる。

あの頃よりも、もっと深く…。

今は先生が居なくなってしまうのではないか?と思うだけで涙が押し寄せてくる。

でも厳しい現実を突き付けられながらも、当時は先生が生き続けることしか考えなかった。

だから涙は必要なかったのだと思う。

先日、居酒屋でのこと、先生が「お前、よくタバコを止められたな」とタバコを吸いながら言ってくれた(笑)

確かにタバコを止めるのは簡単なことではなかった。

我慢の限界が来ると、先生のことを思いだして気を静めて欲望を逃がした。

大変おこがましい考えだと思うけれど、私が先に逝けば先生に悲しい思いをさせることになってしまうでしょ。

先生の寂しげな顔を知っているから、たとえ短い時間に過ぎなくても、私が先生を悲しませるわけにはいかないよね。

出会ってからずっと大切にしてきたもらったからね。

それに誰よりも笑っていてほしい人だから、私が泣かせたりできないよね。

もちろんタバコを止めたらといっても、寿命が延びたかどうかは誰にもわからない。

ただ…運命は変えられると先生が教えてくれたから、私の寿命は先生と一緒がいいと思っている。
美月
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クリスマスが近づくと…
街はクリスマス一色だね…。
でもクリスマスが近づくと、子供の頃を思い出し、ちょっぴりセンチな気分になる。 

ずっと以前の暮れ迫る頃、先生への夜のメールにクリスマスの思い出を書いたことがある。
毎年、同じ頃になると同じことを思い出し、そして同じように切ない思いに胸が締め付けられる。

どれほど年を重ねても、幼い頃の記憶が薄れることはない。
思い出したくないことも、忘れてしまいたいことも、尖った感性は今も心のどこかに残っている。

それほど不幸な人生を歩んできたわけではなく、特別、悲しむべき出来事もなかった。
それなのに誰かに聞いてもらいたい、あの頃のこと、言葉にすることができなかった切ない気持ちを…。

クリスマスの日の商店街は、夕方までは歳末売出しで賑わっているのに、夜になると人通りがなくなってしまうんだよね。

夕方を過ぎて、足早で帰るスーツ姿のお父さんの手にはケーキの箱があってね…私は冷たいコンクリート敷きの店先で蟻の行列(帰宅者)を見送っていた。

これから各家で催されるクリスマスイベントを想像しながら、マッチ売りの少女のように寒さに耐えていた。

サラリーマンのボーナスをあてにした年末の大売出しは、靴屋といえども浮かれムードの煽りを受けられるので家族揃って店番をする。

…とは言っても、父、母、私の三人だけどね。

時折、お腹を空かせた弟二人が店に来ては、忙しさで小言の言えない両親に纏わり付いて小遣いを強請り、これ見よがしに隣の菓子屋で買った甘い菓子を口いっぱいに頬張って立ち去る。

夕方も過ぎ、TVの子供番組が終る頃になると、客足も途切れてくるので母は食事の支度をしに家に戻った。

今日はクリスマス、でもご馳走なんて大して嬉しくなかった。
それより私はボーナスが欲しかった(^^ゞ

店を閉めてからクリスマスが始まる。逆を返せば、店が開いている限りクリスマスは来ないんだよね。
同じ一日であっても、スタートが違えば時間を損した気分になる。

では、夜遅くまでクリスマスが来ない我が家は損をしたか?と考えると、普段より儲けが多かったのだから得したことになるのだけれど、子供ながらにお金では計り知れない損がどこかに隠されているような気がした。

それでも商店街で働く子供ならではのクリスマスのお楽しみもあった。
クリスマスが歳末売り出しの最後の日だったから、父が余った福引きの券を店を手伝ったお駄賃として私だけにくれたこと。

この時ばかりは幼い弟達にあげないで、私だけに引かせてくれたんだよね(*^^)v

「働かざるもの食うべからず」というのが父の教えだからね、弟達は働かなかったからもらえなかっただけのことなのだけど、当たり前のことを実行してくれる父を凄いと思った。

う~ん、普段の私なら九つ離れた下の弟にこっそりあげてしまうだろうなぁ~と思うつつ、弟が喜んでくれたら私は幸せな気持ちになれたから、福はくじ引きにあったわけではないのかもしれないね。

あっ、話が飛んでしまったね(汗)

とにかくクリスマスの日くらい、小さな特別を独り占めしたかった。
どんなことでもよかった。
今日はみんなが楽しく過ごす日であるなら、私も楽しみを見つけてやろうじゃん!と粋がったりもした。

その反面、一人っ子はどれほど幸せなのだろうか?と考えたりもするんだけど、私が居ないと寂しがる弟の顔が浮かんでくると、ちょっとでも一人が良いと思った自分が情けなくて泣きたくなった。

三つ違いの弟は何をするにしても怠け者だから好きではないけれど、初めて下の弟に出会った日、空から天使が下りてきたのかと思った。
真っ赤なほっぺに春が宿っているようで、柔らかくて温かくて、頬を寄せると甘い匂いがした。

特別、大きく産まれた弟はおんぶすると重たくて肩が痺れてしまうけれど、いつもおぶって遊びに行った。
私と似ていない大きな瞳で見つめられると、生まれて初めて愛する人に慕われることがこれほど嬉しいものかと実感したよ。

まあ、今となっては立派なおじさんだけどね。
でも父に似て働き者のとっても立派なおじさんになったよ(^_-)-☆

あらら、またまた福引の話から反れてしまったね、いつもながら話が纏まらなくてごめんなさい。

父の手前、子供らしく喜んでくじを引きに行くんだけれど、でもね、最終日だから一等はとっくの昔に出てしまって入っていないんだよね。

店の斜め前が福引所だったから、上位の等が当たるたびに鐘の音と歓声が聞こえてくる。
私はその鐘の音をいつも耳を澄まして聞いていた。
それを知っているんだもん、くじを回す手に気合は入らなかった。

母が普段、買い物をしてもらった券は、母と一緒に買い物に行った弟達がこっそり引いてしまう。
店にも福引券が沢山あるけれど、でもね、それはお金を出して買った物だから、おねだりが出来なかったなぁ~。

そんな私を思ってかな?
福引所のおじさん達は、私が最後に行くとこっそりおまけをしてくれて、赤玉以外の下から数えて三色をガラガラの中にいっぱい入れてくれたよ。 

そりぁ~ね、一等は出ないけれど、何かしら当たるよね(笑)

たとえ舞台裏事情を知っていても、大人の優しさや思いやりを有難いと思った。
…ううん、わかっていたからこそ、わからない振りをして喜んでみせたのかもしれない。

だけどね、顔と心は裏腹で、笑えば笑うほど寂しくなるのはなぜだろうと思った。
きっと地面が凍りそうなほど北風が冷たくて、私はこの場所からすぐにでも逃げ出したかった。

それでも父には嬉しい顔を見せたくて、気を取り直して店に戻って当たった物を見せると、「よかったなぁ~、余り物には福がある!やっぱりお前は運がいいなぁ~!」といいながら私以上にはしゃいでくれた。

父と私…同じ性格なのだと、その時、悟った。

きっと父は私の喜ぶ顔が欲しかったのだと想う。 

でもね、父が私の隙を見て福引所に行き、当番の人にお礼を言っていることも私は知っていた。 
舞台裏の仕掛けは、父から私へのクリスマスプレゼントだったのかもしれないね。

商店街の大人は、みんな優しかった。 

「店番しながら家の手伝いをして偉いね」
「弟の面倒をよくみて良いおねえちゃんだね…」と、いつも私の良いところを見つめて褒めてくれた。

それでも捻くれ者の私は、人の優しさに触れる度、酷い罪を科せられているように感じた。

嬉しいこと、切ないこと、やるせない気持ちを抱えてクリスマスの夕食に付いた。

毎年、母は腕を振るって洋風の料理をテーブルいっぱいに並べてくれたけれど、本当はね、あのバターケーキが嫌いで、骨付きチキンが大嫌いで、だけどクリスマスの日だけは好き嫌いを言ってはいけないような気がして、無理して子供っぽく振舞う。

その後、宴も終わり、湿った布団の中から安っぽいツリーのチカチカした電飾を見つめれば、無性に切なさと悔しさが込みあげてきた。

よその子が羨ましかった。
よそと比べたらキリがないと父に諭されたけれど、比べても負けないほど今の自分に満足したかった。

だから裕福な子には意地悪もしたかもしれないなぁ~(^_^;)

でも意地悪している自分を客観的に観れるようになると、明らかに貧しさゆえの反抗に見えたので恥ずかしくなり止めた。

そのかわり、人より早く大人になりたいと常々思うようになった。
大人になれば、自分の歩むべき道を選択することができるでしょ。

幸せにも不幸にも自分の力でなれるのだから、大人の世界は自由社会だと思った。

…そう思っていたけれど、大人になってみればやっぱり子供の頃が楽だったかなと想うのは、きっと誰も同じかもしれないよね(笑)

追伸…

もし?子供の頃に戻れる魔法があっても私は絶対に戻らない。
大好きな人と同じ時間を共有することの喜びを知ったから、先生が存在しない世界に未練はないからね(*^^)v
美月
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九十九里浜に行ってきました
一泊で九十九里浜に出かけてきました。

今回で5回目で、月に一度のお楽しみとなっている旅ですが、馬に乗るのが目的でもあるけれど、最近は乗馬の楽しみに負けないほど千葉県を満喫しています。

ここ二回ほど一宮町にあるコンドミディアムタイプのホテルに宿泊しているけれど、窓から見える海は、朝、晩と様々な色と音で楽しませてくれています。

夜の海面に揺らぐ月光の美しさは言葉でい表す事のできない神秘な世界でした。

幻想的な空間に人魚姫がいても不思議ではないなぁ~(^_-)-☆

自然というのは、その場にある景色に過ぎないのかもしれないけれど、感動が景色をより一層輝かせてしまうのかもしれないよね。

そして一人より二人…感動を共有することによって、心の震えは最高潮に達してしまう。

ちょっと不適切な例えかもしれないけれど、それはSEXにも似た歓喜のようにも思える。

二人が交わるから生まれる快感に酔いしれながら幸福を味わう。

それが恋愛の醍醐味かもしれないよね(*^^)v

このホテルに泊まると、食事は自分達で作ります。

…と言っても、特別なものはありません。

先生の好物のながらみを、ホテルに向かう途中の水産物屋で買い、地元のスーパーでお酒やお菓子を買う。

基本は手間のかからないもので、好きな物をしつこく食べながらお酒をちびちび???飲む。

調味料は塩と醤油のみ、それでも地元の食材を地元で食べると気候が調味料の役目となるのか?持ち帰って食べるより数倍美味しい気がする。

もちろん大好きな先生と二人きりでゆっくり食事を楽しめること喜びがあっての美味しさだけど、目の前に好きな物しかない世界というのはそうそうないもんね。

今回は先生が乗った馬(ダイナさん)が砂地に足を取られバランスを崩した為に先生が落馬してしまった。

ダイナさんにも以前乗ったことがあるけど、淑やかに動く馬だったはずなのに、今回、跳ねたよね。

そして今回私が乗ったローズさんも、以前乗った時よりイライラしているようで、乗る前に顔を撫でて「よろしく」の挨拶をしたかったのにキリッと断られたし、馬場での練習では大人しかったのに(まあ、元々は気性が荒いらしく、前回、乗った時に他の馬と近づけてはいけないと言われたけど…)外乗に出た途端、様子が変わって、ちょっとしたことで体を揺すって振り落とそうとするし、やたらと首を振ったかと思うと跳ねたり、一気に駆け出しそうになった。

調教師さんの乗った若い馬も、途中で調教師さんが馬から下りて気持ちを落ち着かせるほど苛立っていたし…なんとなく三頭ともいつもと違った感じがした。

今思うと、冬支度の為に馬小屋のリフォームをしていて、何日も業者さんが出入りし、大きな音を立てて改装工事をしているストレスがかなりかかっていたのかもしれない。

う~ん、だからかなぁ~…広い海を目の前にしたら、わぁ~と全速力で走り出したくなるよね。

でも私達には彼女達の期待に応えてあげられる技術が備わっていないから、ブレーキばかりかけちゃったからね。

人間なら大声あげてストレスを発散したくなるのと同じように、馬だって電動のこぎりの音を何時間も聞かされたらぐれちゃうだろうと思った。

先生が無事で何よりだったけど、大きな怪我がなくて本当によかった。
…と同時に…、馬は生き物であり、それぞれが意思を持っていることを改めて感じたよ。

帰り道の高速道路で素人には乗りにくいと言われるフェラーリ見たけれど、同じ跳ね馬であっても機械だから本物の馬に比べたら操作は楽だろうと思っちゃった(笑)

だけど、先生のことだから、馬はまだ楽だというかな!?
えへへ、馬は喋らないからね…、私のお喋りにつき合わされている方がよっぽど大変かもしれないよね(^^♪

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昔から今へと…
私が九十九里を褒めると、先生は私を馬鹿にする(*^^)v

えへへ、田舎だと馬鹿にしていた千葉に住みたいと今は思えるほど、千葉が(海辺の近くが…)心身ともに心地良いと感じる。

先生が初めて一人旅をしたのが九十九里浜だったんだって…。
高校二年生だったらしいけれど、それから何度も訪れただろう九十九里浜を、私は先生と一緒に旅している。

さすがに高校生の先生が、この年になっておばさん(私)と一緒に馬に乗っている姿など想像出来なかっただろうけれど、たとえ相手が違ったとしても、きっと先生はこの年の頃になると原点に戻ってきたのだろうと思う。

九十九里浜へ独りで旅する人間なんて、どう考えてもつげ義春並みに暗いという。
えへへ、その暗さは今も変わらないと思うからね。

ただし先生にとって暗さ(影の部分)は、必要不可欠だったように思う。

一宮の海岸で太陽をバックに先生の写真を撮った。

逆光…

見る角度を変えれば先生はキラキラ輝いて見えるはずなのに、光を浴びれば浴びるほど黒い影となった。

人間は花と違って明るい方ばかりを見ては暮らせない。

特に先生のような危機管理能力の強い人の場合、輝けば輝くほど影は深まりを増し、光と影のバランスを取ろうとするのだろうと思う。

人を愛し、孤独を愛する。
それが先生の基本姿勢かもしれないなぁ~(*^_^*)

私はというと、先生に出会ってから呑気になった。
以前は何をするのもキリキリとしていたけれど、最近は私が考えるより先生が考えた方が正しい答えが出るだろうと思うので、なんでもお任せしている。

まあね、たまには「お前が考えるんだ!!!」と怒っているけれど、でも最終的には先生の判断を扇ぐのだから、結局は同じような気がするけどね。

ただし最近は褒められることも増えた。
それはなぜかと考えれば、褒めた方が早く話が切り上がることを先生が悟ったからだと思う(*^^)v

8月から毎月、同じ時間に海岸で馬に乗っているけれど、どこまでも続く灰色の砂浜は一緒であっても、季節によって日の陰りも違うし、天候によっても空と海の色が変わってくるでしょ…。

未だ私の海は不動ではなく、常に新しい顔で迎えてくれているように思うし、毎回、海を見るたび、人間って小さいんだなぁ~と素直に思える。

今年も色々な発見があったし、色んな出会いもあった。
私は先生と二人で見つけた感動を思いきり楽しんだ。

いつまでも感動する心を持ち続けたいね。
これからも楽しい話を綴りたい。
その為には好奇心を忘れず、心を柔軟にしていなくてはいけないよね。

新しいものを知る感動、美しい景色を見て感動する。
感動は特別なものから生まれるのではないのかもしれないと、最近、思う。

また、同じ景色に先生が居るか居ないかによっても、私にとって感動の度合いは違ってくる。
たとえ何もない背景であったとしても、私は先生を描いて笑ってしまう。

先生がいるだけで、なぜか可笑しくなる。
先生ほど、私を笑わすのが得意な人はいないと思う。
美月

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