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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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母恋月・・・(前編)
時計が12時を過ぎ、母の日になりました。
そして今宵は満月の夜です。

私の座る位置からも月が朧気に輝いて見えています。
母へのカーネーションの色が赤から白に変わってから、15回目の母の日となりました。

幼い頃の思い出・・・。

東京の空にも月にはありました。
京急の電車が走る、小さな駅にも賑わう商店街がありました。
小さな町でありながら、沢山の人で賑わい人々の生活の基盤となりながら、どこかテーマパークのような要素を兼ね備えた街。

幼い頃の思い出を人様に語ることなど、以前の私では思ってもみなかったことですが、幼かった頃の記憶を蘇らせ、こうして語れるまでになれたのは他でもない、先生の存在があるからだと思っています。
幼い頃の先生も似たような町で育ったからかもしれませんが、私達は出会う前から同じ景色が見えていたような気がします。
 
商店街には色々なお店がありました。
私は商店街の真ん中に位置する小さな靴屋の娘として産まれました。

住まいは狭い路地を入った店の裏手にありました。
商店街には幾つも細長い路地があり、人々の住居スペースとなっていました。

玄関一つ、トイレ一つ、もちろんお風呂は銭湯通い、台所も共有スペースの4世帯が住むアパートの六畳一間が、私達家族の住まいでした。
今で言えば一軒屋に4世帯が寄り添って暮らす、マッチ箱ほどの小さな世界でした。

父は茨城の田舎から17歳で上京すると、靴屋の丁稚となりました。
丁稚時代に暮らしていた部屋は、窓の無い3畳に3人で住んでいたと聞かされた時は、農家の本家で育った父がこんな暗く狭い部屋で暮らすなど、さぞかし多くの苦労があっただろうと思います。

それでも父は夢である自分の店を持つ為、懸命に修行に励みました。
けれど「丁稚の身で給金をもらえるだけでもありがたいと思え・・・」と平気で言うような親方の元では、誰よりも早く腕をあげたところで、到底、自分の店など持てません。

父はたまの休日を利用し浅草の問屋街で仕入れた品を闇で売り、小遣いは殆ど使わず、僅かな給金を貯めては闇金融を始めたそうです。
それでは満足行かず、仕入れた品物を田舎で売りさばきながら、売れた代金で作物を買い付け、また作物を生産させてブローカーまがいの商売までしてお金を貯めたそうです。

毎日、過酷な労働の中で、父の唯一の楽しみは、母の勤める店に通うことでした。
母は親戚の叔母の経営しているおでん屋を手伝っていました。

兄弟11人、家族の多い貧しい暮らしの中で育った母。
母のすぐ下の妹は父親の妹(叔母)の元に貰われて行き、豊かな暮らしを送ります。

兄弟達は誰もが「私が(俺が)貰われっ子になりたかった」と親の前で平気で言うくらいですから、貧しさが心を蝕み、誰もが切なさの境地に達していたのだろうと思います。
でも母だけは、「おかあちゃんの傍がいい」と思ったそうです。

母は成長するに連れ器量良しとなると、おでん屋の看板娘となり、叔母さんにもお客様にとても可愛がられたそうです。
と、母は言っていましたが、 私の知る限りこの叔母は、舌切りスズメの話に出てくる悪いおばあさんよりもっともっと意地悪で悪毒見えました。

母は幼い頃から歌が上手で踊りも好きだったそうです。
長年、土佐周りの一座で生計を立てていた祖父方の影響かもしれませんが、普段は人を押しのけて話すことを嫌う母でしたが、芸事になると途端に人が変わったようになり、動じることもありません。
 
おでん屋と言っても酒場である以上、男性からの誘いも多く、十代の母には好ましい仕事ではなかったようですが、叔母から出してもらう三味線、長唄、踊りの稽古賃が、当時の母にとっては捨てがたかったのでしょうね。

叔母が稽古賃を出したのも母の為と言うより商売だと思うのですが、でも私の母は人の心の裏側を探る人ではなく、稽古に行く時間が嬉しくて、叔母に感謝していたそうです。

おでんや店ではいつも着物を着て、三味線を弾き、長唄を唄う母。
そんな母に惹かれた父は、毎晩のように通うようになったそうです。

けれど店を立ち上げる資金を貯める身にとって、毎晩の酒代はかなりの痛手です。
だから父がいつも決まって注文するのは、ビール一本とおでんのがんもとちくわぶだけだったそうです。

母の元に通うには金銭的苦労もありましたが、父のライバルは多く、銀行員、大会社に勤めるサラリーマン、公務員と、どの人も結婚条件にはもってこいの好青年ばかり。

父は給金が入ると問屋街で買った珍しい菓子を叔母の元へこまめに付け届けをして、やっと店のカウンターの一番奥の常連指定席(母の前)に座れるようになるまでには、相当の時間と苦労があったようです。

それでも母は、父が店に来たその日から、ずっと父が好きだったそうです。 
叔母にわからないように、こっそり付き出しの量を増やしたり、一番、汁の沁みている、がんもをこっそり隠して出したり・・・。

そして父も同じ・・・。
叔母の付け届けとは別に、おあいそする機会を見計らって、こっそり母だけに雷おこしや煎餅を渡す。

お互いに惹かれあっているのがわかりすぎるのに、それでも父は自分の店を持つ目処が立つまでは、一切の愛を告げることなく、黙って母を見つめる日々だったそうです。

だけど母にも父の心が観えていたのでしょうか?
父との約束など何一つないのに、それでも叔母に勧められる男性とのデートで、どんなに美味しいものを食べさせてもらっても、観たかった映画に誘ってもらっても、心は晴れることなく父の顔だけが浮かんでくる。
何度も持ちかけられる豊かな縁談話にも、母の心は動かされることなく、ただ父だけを信じ、その日を待っていたそうです。

母の夢は、父のお嫁さんになること。
父の努力の介あって、目出度く靴屋を出すことことが出来ました。
そして父にとって店以上に念願だった愛する人をお嫁さんに迎えることが出来ました。

母の花嫁道具は大きなアルミ鍋一つでした。
家が貧しかったので、兄弟達もまともな結婚式を挙げることができなかったそうです。

父の生まれ育った家は旧家で、何代に亘り町長を勤めた家でもありました。
父は母が親戚達に恥ずめを受けないようにと、資金を出して立派な結婚式を挙げたそうです。

開店と結婚式を同時に貯めたのですから、並大抵の努力ではなかったと思います。
でも母は父の苦労を一切知らずにいたそうですが…。

弱音や愚痴を吐かない父だから、いつも冗談ばかりいって母を笑わせます。
そのくせ「お前は呑気でいいなぁ~」というのが父の口癖でしたが、でも父は母の笑顔を見るためなら、どんなことだってできる人でした。
父は今でも「それだけが俺の自慢だ」と豪語しています。

本来の父は頑固者です。それにとても厳しい人だし、怠け者が大嫌い。
でも父にとって母だけは、いつも特別な存在でした。

母は嫁入り道具の鍋をとても大切にし、得意のおでんを煮込みます。
父の大好きながんもとちくわぶを煮るためにね。。。

父と母はいつも一緒に店に出ていました。
母はとてもヤキモチ妬きな人で、父が女性客と楽しそうに話をしていると、プイッとそっぽを向いて外に出て行ってしまいます。
女房思うほど亭主モテずでありながら、それに母の方が何倍も男性客からモテるのに、子供のように拗ねる母を誰よりも愛おしいと感じていた父。

昔「うるせいやつら」という漫画がありましたね。
私には母がラムちゃんそっくりに思えたものです。

だからと言って母が女性客に嫌われるか?と思えばそうでもなく、お客様はみな地元の人ですので、誰もが母の純粋さに微笑を捧いでくれるほど、日々愛を確かめあう二人に共感してくれていたのだろうと思います。
だけどね、こんなこと・・・我が家だけの特別なことではなく、商店街に暮らす周りの夫婦もみな同じようなものでした。

どこの店に行っても夫婦を愚痴りあい、惚気合い、笑い合い・・・そして、心和み・・・暮らす街。
皆ふるさとを遠く離れた小さな街で、たまたま出会った他人同士が肩を寄せ合い生きていく、そんな優しい街でした。

一緒に店を持つ、共に商売をする者にとって衣食住、金銭、時間、そのどれをとっても二人の共有財産であるのです。
だから商売人夫婦は、心中する覚悟がないと一緒にはいられません。

ただ人と暮らすだけなら、同じアパートの一つ屋根に住む偽家族とも暮らせますが、共に生きるということは、愛する者同士がお互いを信じあい、愛することで満たされていくのです。
貧しさや苦しみに耐える日があっても、共有する時間が心の豊かさとより、日常生活をより豊かにしていくのが、本当の夫婦のあり方なのでしょうね。

ある日、心貧しき人が「愛では飯が食えない」と母に言いました。
けれど普段内気な母が引き下がることなく「愛がなくてはご飯もいらない」と言いました。
母は父の傍にいられるだけで、本当に幸せだったのだろうと思います。

何度も大病を患う父でした。
母はそのたびに父を失うことの恐ろしさに心を震わせ、「私の命以上にパパが大切」だと言いました。
「人にはどれほどの寿命があるか?わからないけれど、でも分けられるのなら、パパにあげたい…」と何度も願ったそうです。
そして誰よりも母を思う父は、「俺にもしも?のことがあったら、お前がママを守ってくれ・・・」 と病の度に言いました。

父の言葉が命令だったのか?それとも願いだったのか? 幼い私にはよくわからなかったけれど、私が初めて店番を手伝ったのは、幼稚園の時からでした。

私には3つ違いの弟と九つ違いの弟がいます。
本来なら男である弟に申し付ける事を、私に言うなんて納得はいきません。

「お前は人より少し賢い。その辺のへなちょこ男に負けるはずがないのだから、俺が居なくなったらお前が家族を守れ・・・・」

男として生きる道は、どんな生き方であるべきなのでしょうね。
でも男以上に賢く生きなくては、そう・・・私には守るべき者達がいるのだから・・・と思い込まされるのですから、私は父に洗脳されてしまったのかもしれません。
つづく・・・
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この記事のコメント
minorunさん、始めまして・・・そしてコメントありがとうございます(*^^)v

> 私も若い頃に京急の恐ろしい魚の名前が付く駅の近くに住んでいたものですから懐かしく読ませていただきました。
> 長編の部類に入ると思いますが、漫画(映画)「三丁目の夕日」の雰囲気を感じてしまうぐらい秀逸のエントリーでした。書いてくださってありがとうございました。

そうですか・・・minorunさんとは京急仲間ですね(笑)
京急の駅にそれぞれに商店街があって、この季節になるとオレンジ色の大きな夕陽が、商店街をすっぽりと染めるのですが、その美しさが今も忘れられません。

きっと観光客では気付くことのできない、それぞれの街の美しさが沢山あるのだと思います。
生活をする場で感動が与えてもらえることに喜びを感じます。

そして、今少し後悔することは、なぜ?その時、今ほどの深い感動を見ることが出来なかったことです。
だからこそ誰にとっても故郷は、いつまでも輝き続けるものなのかもしれませんね(*^^)v

> 一人住まいの老母の介護などもあって、妻とは丸4年完全に別居中です。
> 愛・・・・かぁ~ 愛って深いですね・・・。

きっとご苦労されていることも沢山あると思います。
愛ってね、正直、本当の正体がなんなのか?実は私にもよくわからないのです。

愛・・・言葉にしてしまうと、とても簡単なんですけどね(汗)

でも商店街に落ちるオレンジ色の夕陽のようなものなのかもしれませんね。
人生を振返る時、眼に浮かぶ輝くものが愛だとしたら、愛を知るのはまだまだ先でいいと思います(*^_^*)

minorunさん、また昔話を書きますね。
年をとったせいか?・・・最近、昔話が好きになりました。
よろしかったら、また遊びに来てくださいね(^^♪
2011-07-24 Sun 17:09 | URL | minorunさん←美月より #-[ 内容変更]
初めまして・・・。
山形に住むminorunと申します。ちょっと年上です。(笑)
私も若い頃に京急の恐ろしい魚の名前が付く駅の近くに住んでいたものですから懐かしく読ませていただきました。
長編の部類に入ると思いますが、漫画(映画)「三丁目の夕日」の雰囲気を感じてしまうぐらい秀逸のエントリーでした。書いてくださってありがとうございました。

一人住まいの老母の介護などもあって、妻とは丸4年完全に別居中です。

愛・・・・かぁ~ 愛って深いですね・・・。



2011-07-24 Sun 10:09 | URL | minorun #-[ 内容変更]
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