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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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一蓮托生(運命を共にし生きること)・・・(美 月)

嫉妬することは心醜いものだと、ずっと思って生きてきた。
でも最近では好意的嫉妬があってもいいのではないか?と思えるようにもなってきた。

最近の私の嫉妬は他に向けられるものではなく、先生の感性だったり、才能だったりに嫉妬しているのかなぁ?
先生という存在に嫉妬していると言った方がわかりやすいかな?

まあ、こうして恐れ多いことを、堂々と言えるのもブログの良いところだよね・・・。
さすがに離れていたら先生に殴られなくてすむもん・・・じゅあ逢ったらどうなるのだろう(笑)

何気ない日常の中に愛があり、性があることの素晴らしさを書きたい・・・。

それが可能なのは「夫婦ブログ」しかないのかな?と思うと寂しい気もするけれど、夫婦であれ恋愛カップルであれ、人間関係に変わりがないと思ってしまう私だから書きたくなる(笑)

私は幼い時から嫉妬することが狂おしく、人の心からずっと遠ざかって生きてきたような気がする。 
それは両親に対する幼き思いでもあり、日々、見せ付けられる愛性世界にただただ屈しながら生きてきたからかもしれない。

鳥は生まれて最初に見た者を親だと思いこむという習性があるよね。
それを『刷り込み』というのかな? 

私は幼い頃に何度も見ていたTV漫画、本のほとんどが今でも大好きですが、それはこの先も変わることなく刷り込まれた世界が記憶の中で鮮明に生きています(^^♪

「刷り込み」とは・・・鳥類や哺乳類の生後ごく早い時期に起こる特殊な学習。その時期に身近に目にした動く物体を親として追従する現象で、鳴き声やにおいもこの学習の刺激となる。他の学習と異なり、一生持続する。

刻印された愛の世界は、生まれて最初に観た「父母の愛の物語」であり、それが真の愛の姿であると脳に刷り込まれているのかもしれない。

世界で一番美しい世界から創りだされた戦士。 

私は両親に愛されて育ったと今でも深く思っているけれど、ただその愛はどこか一方的であり、父の愛を独り占めしようとする母をずるいとも思ってもいた。 
そして・・・何より母を誰よりも愛する父を疎ましいとも思っていた。 
けれど両親が私をこよなく愛し、幼き頃の脆い肉体を大切に守ってくれていたことは、今でも深く感謝しています。

母は毎日のように父がいる幸せを私に語った。
時には歌謡曲に想いを託し、毎晩、食卓に上るおかずの中に料理サンプルのように父以外の人が誰も手を付けられないおかずを眺めて暮らせば、母にとって唯一の存在が父であることくらい嫌というほど思い知らさせた。

そして母は「大人になったら・・・父のような人と幸せになって・・・」と、日々講談師のように語り続け、まだ答えを見つけられない私を置きざりにしたまま、あっさりこの世を去ってしまった。

けれど私は男に依存して生きる女などに価値はなかった・・・のではなく、今思うと戦う前に逃げた(^^ゞ

反面教師・・・

「お前が男だったら良かったのに・・・」と父は事ある毎に私に言っていた。
私が男ならこの世に男など必要ないのでは…?
世間を知らない幼い心は、忘れ去られた初秋の風鈴のように人知れずひっそり揺らいでいた。

私はこの年になるまで、父と母、二人の心を一つに結び付けることが出来なかったのだろうと思う。
もちろん先生と出会わなければ、60、70歳になっても知る由もなかっただろうと思っているけれどね。

女としての幸せ・・・男としての生き方・・・・。

この二つが揃えばどんな大きな物にも立ち向かえることを両親は私に教えたかったのはないかと、最近やけに素直に思えるようになってきた。

愛への反抗期として、若き頃・・・私が最初に「妄想」を実行へと移したのが見せ付けプレイだった。

大勢の前で愛される私を観てもらいたい・・・。
その当時の私は人の眼に映し出される我が姿で、愛されていることを自覚したいと思っていたのかもしれない。 
まあ、その感性は未だに性癖としてちゃんと残っているけれどね(笑)

けれどこんなお粗末な妄想で心満たされるはずもなく、見せ掛けの愛に戸惑いながら、満たされない思いを妄想にぶつけた。 
だけど、所詮、見せ掛けであり、偽物は偽物にしか過ぎなかった。

まだプレイとしても性を楽しむ余裕のない肉体に、快楽が着いてくるはずもなかった。
ある時、絶対的な愛交わる美しき姿を観せられた私は、性を求めるべき精神に達していない愚かな自分を悟った。 
型に嵌った生き方しか出来なければ男を見る眼など養われるはずもなく、妄想を消化することだけに片意地を張っていたのかもしれないと思う。

最近、つくづく想うことがある・・・。

なぜ?男女とも簡単に相手を変えたがるのか?
恋人であれば・・・・妻ならば・・・・夫としては、場合によってはセックスにより行き先により、人を取替え選ぶほど自分好みの人間が世の中に五萬といるはずもなく、それは女が男を選ぶ基準にもいえる事だけれど・・・。

それは真夜中のメリーゴーランドと一緒で、数ある馬達は視覚のまやかしに近く、たくさんの馬の中からお気に入りを探そうとしても、実際は同じ馬や馬車がクルクルと回っているだけのこと。

毎年、不倫総数の統計など取り、世相が乱れていると言ったところで、実際はそれほどの増減はないではないか?と捻くれ根性丸出しで、少々?攻撃的に思ったりもしてる(笑)

こんな私の気性の荒さと心の脆さが災いしてか?、若い頃には取り扱い説明書を添えられていない気難しい心と体を上手に乗りこなしてくれる男に、私は一度も出会ったことがなかった(^_^;)

愛されることなく?ううん、周りの人が相対的に愛として見るならば、私は愛されていたのだろうと思う。 
だけど深く付き合ってみて、初めて相手の求める愛とは違った感性を持っているとわかることだってあるよね。

それがお互いに分かり合ったとしても、尚且つ、愛を語ろうとするのか?そう思うと、器としての愛着であり、「本当の私が愛されているのではないの?」と愛を疑っては・・・独り身を選ぶ。

それをまだ若い頃に知れたことは、私の唯一の失敗の中の成功であり、まず自らが心から人を愛せない者に対して与えられる快楽など、自慰行為に等しいとまで考えるようになった。

男に抱かれれば抱かれるほど肉体の儚きを知り、浅い快楽に身を沈めれば女の愚かさを知ることになる。

だから私は性の世界を封印してしまった・・・(^_-)-☆

そして、私は先生と出会う42歳までの間、尼の心を持ちながら、気高き人間の振りをして生きてきた。 
嘘つき女・・・・それが先生と出会う前の私だった(*^_^*)

嫉妬と独占欲を語れば、私は完全なる偽善者だった。 

嫉妬から逃れる為なら、愛を欲しがろうとも思わなかった。
と言うより嫉妬すること自体を放棄していたのかもしれない(^_^;)

人の心を信じることが怖くて・・・愛され過ぎたら・・・遠ざける・・・愛してしまいそうになると・・・心を戒め逃げていく。

男に自由を与えること・・・私は良い女の条件の一つとして飾ってきたけれど、先生に出会って私が人に与えてきたものは自由などではなく、寂しさや哀しさばかりだったのだろうと思うようになった。

今では私の焼きもちは定番と化しているけれど、先生に出逢った当時は「お前はヤキモチを焼かないから、面白くない・・・」と言われたこともあったよ(笑) 
だけどね・・・・先生以外・・・私を嘘つき女と呼ぶ人もいなかった(*^^)v

愛とは何かもわからず愛を求めて彷徨い続けた暗闇は、自ら創りだしてしまった紅蓮地獄。
この地獄に堕ちた者は寒さで皮膚が破れ落ち、紅蓮の蓮のようにこの身を赤い血で染めるという。 

神が愛の最終章を語れば、何ものにも執着せず全てのものに自由を開放する事かも知れないね。

独りでも生きられること・・・。 
独りでも幸福だと思えるのは神だけが成せる業であり、同じ独りぼっちなら私はまだまだ人間臭くありたい・・・・もっともっと先生に執着したいと思うんだよ。

それはね、自由を奪い合うものではなく、共存する中での安らぎを求めていきたい。
本来あるべき蓮の生き方を・・・そして本来、私が生まれ持った気性であるべき生き方を、たった独りの愛しき男と出会えたことで、長い間、閉ざされていた心に穏やかな春の陽だまりを感じられるようになれたのだからね。

一つの出会いがもたらしたものは、バラバラになっていた心のピースが、しっくりと元に場所に収まった時のようなすっきりとした開放感かもしれないなぁ?。 
心に隙間がないからあったかいんだよね・・・あったかくてね、気持ち良いから、ずっと先生の傍にいたいと思うんだよ(^^♪

そうなると信仰心の無い私にとって、先生は神様より大切な存在になるのかな?
だから先生と散歩の途中で神社を見つけてお参りするときは、私は先生の背中に手を合わせてしまう。 

それも先生からちゃっかりお賽銭貰ってね(笑) 
だって私は神様にお願いしないんだから、それでいいんだよね(^_-)-☆ 

誰が神になろうがいいんだよ。神の定義はね、人間が創った心の安らぎの世界なのだから・・・。
多分、その安らぎを『愛』というのかもしれないね(^^♪

蓮 華・・・・先週、久しぶりに先生とゆっくりと不忍の池の蓮を見ることができた。
この季節、蓮の花は枯れ葉が生い茂る池を二人静かに眺めて遠い日の夜を回想した。

先生との逢瀬の帰りに通いなれた不忍池で、蓮花を先生にこっそり翳してもらった時から、私の蓮は「紅蓮」から「薄紅」へと色を変え、泥の中から気高く咲き、根を幾重にも絡ませ凛とし生き続ける愛花へと変わった。

今でも不思議に思うのは、なぜ?あの日、暗闇の中で蓮花が満開だったのか?
朝咲き、昼閉じる習性を持ちながら、あれほど見事な感動を夜空に与えてくれたのはどうしてなのだろう?

そういえば、あの日は雨上がりの夜だった。
蓮にとっても、私にとっても・・・その時がまさに夜明けだったのかもしれないと今に思う。 
けれど、同じ道行く人の誰一人とて、蓮の花が満開に咲いている美しき姿を見ることが出来ないのか?と思うと、私は先生の傍にいるだけで日々得を得ていることになる\(^o^)/

同じものを観て、同じように感じることの素晴らしさ・・・そして、愛と性が同じ位置に存在していることが生き甲斐へと代わりつつあるのだから、私の人生はより豊かなものとなっているよね。 

人を羨むことなかれ・・・人を妬む心持たず・・・持つべきものは自分らしく生きる道かなぁ?(笑)

一 蓮 托 生・・・・・私にとって先生への愛こそすべて・・・・。
同じ蓮花の上に生まれ、如何なるものさえ恐れず運命を共にし生きること。
美 月


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