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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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悲しみを見つめて生きること・・・(美 月)

南田洋子さんがお亡くになってしまいましたね。
不謹慎ではありますが、先生とラブホテルのベットの上で、回復の兆しを喜んでいた矢先の出来事なので、遠い存在でありますが少しショックです。

心よりご冥福を祈りながらも、今夜私が書こうと思っていることは、もしかしたら?苦労を共に分かち合ったお二人にとっては、否定的なものになってしまうかもしれませんが、でも書きたいこと、伝えたいことがあるから書いているのですから・・・今ある思いを、ここに綴っておこうと思います。

誰もが延命を願いながら、否たるものは避けようとする。
でも人の器も機械と同じで、使い込んでくれば疲労が起きるし、亀裂が生じることもある。

手直ししながら大切に使えば、長持ちするはずの器としての肉体ですが、人生50年だった頃は、認知症はなかったのかもしれませんよね。

肉体的な寿命は延びたけれど、肉体を司る脳にも限界はあるだと思います。
脳が活発で元気な人と、早くからそうでない人、その違いは生まれ持ったものなのかもしれませんが、本当は認知症になっても、脳に元気がなくなったわけではないような気がします。

今、その人のあるべき脳の姿、それがたとえ狂ったものに見えたとしても、健康な状態の脳を犯すものが薬なのかもしれないと、南田洋子さんと母を重ねてみてしまいます。

身を守るべき薬が与える作用(ダメージ)が、ストレスとなり副作用を起こすのかもしれません。

確かに慣れ親しんだ人の過去を抹消してしまう病を受け入れることは、なかなかできるものではありません。 傍にいる人であれば尚更です。

今まで辿ってきた過去(思い出)が邪魔をして、少しでも元の状態に戻そうとします。
そのために医療があり、薬が処方されます。

長い間の研究により薬に救われてきた人間ですが、けれど薬が作用するということ自体が、副作用もあるということを忘れがちになってしまいます。

私が思うには認知症であっても、脳に何らかの負荷をかけることで、負担を強いられた部分がショート(破裂)してしまうのではないかな?と思いました。

だからと言って医学を否定している訳ではありません。
医療に対して期待しているからこそ・・・求めているのです。

母は50代という若さで脳患いに罹りました。
それが長年、飲み続けていた血圧を下げる薬のせいだったのか?定かではありませんが、副作用が多いとの報告により、その薬は処方されなくなりました。

それから暫くして、母の様子がおかしくなりました。
・・・ ・・・ ・・・
その間のことを書きだすと、何夜も眠らない夜を過ごさなくてはならないので、もっとゆっくり時間が取れるようになってから、書こうと思います。
最終的には管理された病院内で、母はくも膜下出血のため亡くなってしまったのですが・・・。

病院側の説明は、お風呂に入れようと準備していた時に、突然亡くなったと報告されました。

でも私は母の肌を見て、お風呂に入っている時、もしくは入った後に亡くなったとわかりましたが、母はお風呂が大好きだったので、それはそれで良かったのですが、病院側としては不都合なのでしょうね。

突然死であるため、解剖をして死因を調べるか?との申し出がありましたが、私にとって死因なんてどうでも良かった・・・。

ただ早く、ここから母を出してあげたかった。
でもね肉体など外に出したところで、母はもう灰色の籠の中にはいないのです。
何物にも縛られることのない自由の空・・・「無」の世界に逝ってしまったのです。

私は母のことを思い出すたびに、母が幼い頃、唄ってくれた「歌を忘れたカナリア」を思い出します。

『歌を忘れたカナリア』

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか   
いえいえ それはかわいそう   

歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか   
いえいえ それはなりませぬ   

歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか   
いえいえ それはかわいそう   

歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい   
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

作詞者は、西条八十という詩人ということは小学生の時に知りました。
詩が歌になる。。。
その時、初めて詩と音が組み合わさって歌となることを知りました。
でも未だに「詩」とは何かはわかりませんが・・・(^^ゞ

初めて聞いた時から数えて、この歌への思いは年齢ごとに違ってきます。

何も持たない幼き心は、自分の必要性を問いました。
でも最後の「象牙の船に銀の櫂、月夜に浮かべれば忘れた歌を思い出す」で救われるのです。

人は心の豊かさを忘れない限り、いつかまた美しい声で歌うこともできるのだから、絶対に自分だけは自分を見捨ててはいけないと思うのです。

人生には悲しいことや辛いこともあるけれど、いつか願いは届くと願い続けて努力することが「夢」じゃないかな?と思ったりします。 
そう思うとね、夢が無い人など本当はいないんですよね(*^_^*)

この歌を残酷に受け取る親も多く、こんな歌を子供達に聞かせていいものか?とありました。
それもね、こういうことを言いたがるのは決まって、高学歴の人に多い傾向があります。

私はね、正直に言うと・・「馬鹿かもしれない!」と思ってしまいますが、性格上思ったことはすでに口に出ているので、些細な喧嘩もよくあります。

ですが「喧嘩が怖くて言いたいことも言えないのなら、死んだほうがマシだ!」と思ってしまう江戸っ子気質は、商店街の大人達から学びました(笑)

色んな感性に触れることで心が豊かになるのだから、温室暮らしこそ籠の鳥なのにね。 
それさえ知らない大人ばかりになってしまって、籠に入れたまま外の世界を見せないことは、監禁罪に等しいとさえ思ってしまいます。

もちろん知識を与えないまま、ただ外に出したのでは野垂れ死にです。
だからこそ昔以上に、知識ある大人が生きる知恵を子供達に授けることが、大切な役目となっていくのかもしれません。

学校という場所がありながら、本来の機能を発揮していないと思える現状において、授業時間不足、人不足がささやかれているのですから、子供達のことを思いお金を使ってくれというのなら、直接、それぞれの家庭に与えるのではなく、もっと広く活用できる方法を考えていかなければ、何の改善にもならないように思ってしまいます。

あれ?いつの間にか政治演説になってるかな!?話が飛んでしまいました・・・すみません(^^ゞ

私が母に死から学んだことは、どんな姿であろうと、その人の今ある姿を受け入れられることこそ、愛なのではないか?と思いました。

さて果たして学んだことが、私のこの先の人生において、どこまで活用できるか?は、正直まだわかりませんが、でも何か一つ知ったことで役立つことがあるのではないか?と思っています。

私は漢字がよくわかりませんが(^^ゞ、でもね学んだことを活用する為に勉強するのだということは、やっとこの年になってわかるようになりました・・・。

そう思うとね、もっと前に知っていたらとも思ってしまいますが、でもいつから学んでもいいのが、人生のような気がします。

私のお客様にも南田洋子さんと同年代の人が多く、彼女の姿を自分に置き換えて観ている人が多いようです。

『若い頃ファンだったから、あんな姿になってしまってショックだ』と言う声を良く耳にしますが、でもね私は創られた南田洋子さんより、今の彼女の笑顔の方がよっぽど美しく映りました。

芝居はね、どんなに幸せ芝居を演じても・・・所詮芝居です。
真実とは魅せられるものが違うのですよね。

それは今の私への戒めであるけれど、でも現状を維持する上で、演じなくてはならない役周り時もあると思っています。

人生を何章で描くか?・・・いくつの舞台に上がるか?

誰もが望むハッピーエンド、それも人それぞれ違うとは思いますが、夢を追いかけながら、今を精一杯に生きることに代わりは無く、もしも?夢の途中で終ってしまったとしても、本当はね、不満足こそ満足な人生なのかもしれません。

そう思えるようになったのも先生と出会えたお陰です。
それはただ与えられたものではなく、先生との日常の中から学んだものだと思えることが、私には何より嬉しいことです。

美月より(*^_^*)

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