<2010年3月4日に書いた記事です>
今日は、朝から「君に読む物語」のDVDを観てしまった。 最近、ずっと観たいと思っていた。 でも落ち着いて観たくて、時間を作ることに少し精を出した。 そうでないと感動が薄れてしまうようで、ある意味、我慢をしていたのかもしれない。 ほんの少しの休息、それでも私には最高の時間だった。 このところ、ずっと忙しい毎日を過ごしていた。 初めての道、初めて出会う人・・・ 出会いが全て美しいものとは思えないほど、心に傷を負っていたのかもしれない。 本当なら今の気持ちを先生に直接、伝えたいと思ってる。 気持ちを掲示する場所は、少し違っているのかもしれないけれど、でも届けたい思いがあるのだから、今、思う気持ちを書いておこうと思った。 以前なら、もう少し仕事中にも余裕があった先生だけど、職場の異動も伴い、最近は忙しくて思うように話すことができなかった。 ううん、それは私だけが勝手にそう思っていたことに、今日、気がついたよ。 それを教えてくれたのは、先生と菜の花だった。 寂しいと思うことに躊躇っていたのは、先生が選んだ選択だったからかもしれない。 でも全ての邪念を取り払い、私の心だけを語れば・・・もっと傍にいたいと思ってた。 時間の制約と社会の仕組みが邪魔をして、今ある気持ちが上手く伝えられない。 花を観ても、風を感じても素直に語れなくなってしまっていたのかなぁ。 蛍光灯の下の先生に、少しでも季節の移り変わりを告げたくても、白い画面に映るのは、きっと言葉の配列に過ぎないような気がしてた。 忙しい先生の邪魔をしたくないから、静かに雲を見送る。 でもね、先生を思う気持ちに移り変わりなく、思えば思うほど先生の空を恋しいと思ってしまう。 (どうして・・・言葉を選ぼうとするの?) (「逢えない時間もいつも先生のことを思っている」と、それだけ素直に言えばいいだけのことだもん・・・) ただ素直にね・・・そう言えばいいんだよね。 オルゴールのように短い曲であっても、繰り返し、繰り返し、何度も弾けばいいんだよね。 逢いたくて逢えない気持ちを抑える為に努力するのは、愚かな行為だということを誰よりもわかっているのだから・・・。 忙しさに心を亡くされてしまうほど、曖昧な愛し方しか出来ないのなら、それは愛じゃないと思っているのだから・・・。 もっと素直に伝えるべきだったと、今、思う。 それがリアルタイムでなくても、先生を思う気持ちを隠してしまえば、また、ただの人形に逆戻りしてしまうからね。 私の心に命を吹き込んでくれた先生を、もっともっと大切にしたい。 愛することで、感動することで、心に付いた僅かな泥まで洗い流してくれたみたいだよ。 「寂しい」と言ったら・・・「寂しいなぁ?」と言ってくれるかなぁ(^_^;) 「会いたい」と言ったら・・「ああ。逢いたいね!」とだけ言って欲しいと思っちゃう\(^o^)/ 言葉を頼りに、今を生きる関係ではないと思っているからね・・・。 簡単文でも大人の私なら十分、理解出来るはずだから・・・。 ほんの短い時間であっても心を整理することが出来たら、また今日という日を歩けるような気がする。 PS・・・先生へ・・・ いつの日も 通うこの道 菜の花に 教えられしき 日々爛漫 私は今日という日が好き・・・。 先生と迎えられた今日があって、本当に良かったと思っているよ(*^^)v 美 月 |
2011-08-12 Fri 00:16
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