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不倫であっても愛することに変わりなく、愛することで満たされたい。 心が生きると書いて性となるなら、淫らさもまた愛の証だと思っています。
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新たな年を迎えて…(前編)
今年も先生と新たな年を迎えられたことに喜びを感じています。
と打ちながら、涙が出ちゃっています。

もちろん私を泣かしているのは先生です。
なんでねぇ~、嬉しくなることを言ってくれちゃうんだろうなぁ~。
どこまで私を喜ばせたら、先生の気は済むのかなぁ~。

ある意味、先生って意地悪だと思う。
だって私の泣いた顔を想像して、影でこっそり喜んだりしているかもしれないもんね\(^o^)/

だけど涙は苦手…。
そう思っていたけれど、最近は年のせいか?少々涙腺が弱くなったようで、先生と逢えた年の瀬にも泣いてしまいました。

それも33年経った今になって泣くほどの話でもない話を勝手に喋り、これまた自分勝手に泣くんだから性質が悪いよね。
だけど二人酒があんまりにも心地良くて、ついぽろっと昔話をしてしまいました。

高校一年生の時、初めて外に働きに出ました。
私の家は商売をしていたので(靴屋ね…)幼稚園の頃から働くことは当然のことだったけれど、商売っていうのは無情で、売れなくちゃお金が入らないでしょ(汗)

時代が早足で駆け出せば、人は賑やかな音に誘われ輝く場所を求めて出て行く。
キラキラしたところに幸福があると思うのは、陽の光が七色に輝いて見えるからかもしれないね。

そりゃあね、同じ靴を並べるんだって、美しい照明の下で透明なガラス棚に飾られるのと、コンクリート剥き出しの床に蛍光灯の薄明かりでは、映り方も違ってくるよね。
だからね、庶民の空腹を満たす為にある商店街に存在する靴屋なんて売れやしないんだよ。

貧しきは心のあり方で決まるものかもしれないけれど、生まれた時から貧乏は貧乏だったと思う。
だからって今ほどひねくれてはいなかったけどね。

だって周りを見たらみんな同じだったから…。
どこんちの子も家が商売してれば「うん」も言わず店を手伝うのが筋だった。

「店の手伝いするのが嫌だったら、人の何倍も勉強しなっ!」

これってね、商店街の大人の脅し文句です。
そう言われちゃうと勉強が嫌いな奴は手伝いするんだよ。

だってね、勉強するってどんなことか知らないんだもん。
商売で「勉強する」って言ったらマケルってことだからね、自分の人生おまけしなくちゃいけないんじゃあ~勿体無い気がするでしょっ(笑)
だからね、商売人の子供は、自然と商売を覚えようとするんだね。

本当は公立高校でも良かったんだけど、私の頭で行ける程度の高校なんてロクなもんじゃなかった。
今のようにどこでも好きに選べる地域分けではなく、住んでいる場所で区切られていた。 

ロクでもない所にロクでもない人間が行けば先が見えるよね。
それをわかっていながら、自ら落ちていくこともない。

だから中三の担任にお願いして、どこよりも規律の厳しい私立の女子高を選んだ。
私の日常生活に男は邪魔だった。男ってね、災いを呼ぶでしょ(笑)
だから修道院みたいな学校が良かった。

母校は今となっては私なんて入れてもらえるところじゃないよ。
もちろん昔の私だって入れてもらえるはずではなかった。
でもね、どうせダメでも一度思ったことだからお願いしてみようと思った。

私のプレゼンテーションがあまりにも素晴らしかったのか?
成績も良くない素行の悪い私に、一つしかない学校推薦枠を担任の先生が押してくれて、校長先生が許可してくれた。
学生時代もしたいことだけして生きてきた。
でもそれが思いの他、学校に貢献したことになったこともあったらしいんだよね(^^♪

一度だって親に進路を相談したことなんてないよ。
就職も同じで、あっさりとしたもの。

「どこで野たれ死のうがお前の責任だから…」と常に言われて育ってきた。
だけどね、私が私立高校に行きたいといった時、両親は黙ってお金を用意してくれた。

毎月支払う学費を考えたら、少しでも迷惑はかけられないと思った。
あっ!お金の面ではねっ(笑)

でも今思うと、私の両親があの二人でなければ、「私達は一生の不幸を背負ってしまった」と私の寝顔を観るたびに言い続けなければいけなかったと思うけど…(~_~;)

まあ、でもね、私なんて足元にも及ばないくらいトンチンカンな二人だったから、珍しく真面目なことを言い出した娘を面白がって観ていたのかもしれないけどね。

遊ぶお金くらいは、自分で工面しないといけないと思ったよ。
商売人はね、見栄っ張りでもあるから、金が欲しいと言ったらくれるんだよね。
…くれるからね、貰えないことだってあるんだよね。

でね、私がアルバイトに選んだのは、地元にある高級チョコレート工場だった。
えっへん!お嬢様学校だったから、もちろんアルバイトは禁止だったよ。
学校に見つかれば停学になってしまうから、場所選びも必死だった。

生徒が立ち寄りそうな賑わう街の駅には毎日先生が立っていたし、それにね、労働時間を考えたら、やっぱり通勤時間は短い方がいいと思い地元を選んだ。

だけどね、工場に行くには商店街をずっとまっすぐ通って行かないといけないんだよね。
それだけが少し心に引っかかった。

工場の仕事は製造と梱包業務に分かれていた。
時給が100円違うってことは、それだけ大変なんだろうなぁ~と思いつつ、同じ時間を労働で使うなら一円でも高い方が得だと思って製造を選んだ。

確か…マクドナルドのアルバイトが400円台だった頃、630円からのスタートだったのだから辛くても文句言えないよね。

でも予想した通り、製造工場に高校生は一人も居なかった。
工場の入り口に一歩足を踏み入れた瞬間、チョコレートの熱気と匂いで噎せ返るほどで、ここで毎日働けるのかな?と少し心配になった。

それでも初日は見よう見まねで仕事をした。
誰も高校生なんかに、まともに仕事なんて教えてくれないよ。

男の人でも重労働だと思うような職場だったから、すぐに音を上げて辞めるのがせきの山だと思うよね。 
だってオジサンようなオバサンばかり勢ぞろいしていたもん。
私は彼女たちを「おじおばさん」と呼んでいた(笑)

初日の労働は四時間だった。
みんなが揃って退社する時間まで働きたいと希望したので、言われた時間まで働いた。

「お疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」

最初に挨拶が出来なかったので丁寧に挨拶したら、チョコレートでベタベタの軍手があちこちからステンレス製の大きな流しに飛んできた。

「軍手を洗うのは新人の仕事だからねっ!」だってっ(^^ゞ

流しから落ちてしまった軍手を拾おうとしたら、後から投げた人の分の軍手の右手と左手が空中で鉢合わせになっちゃって私の頭に一つ当たった。
ポカンとして見上げる私の顔を観て、みんな大笑いしてたなぁ~。

だけどね、ちっとも悲しくなんてなかった。
軍手を洗って金になるんだよ。幾らだって洗ってやる!と思ったよ。

アルバイトして初めてタイムカードを生で見てね、これっていいなぁ~と思った。
小さな店にはないからね、働いた分だけちゃんと時間給を保証してくれるんだから、それはそれはありがたいお札だと思ったよ。

家に帰ったらね、九つ離れた弟が私がドアを開ける前から、私が帰ってきたのがわかったと言った。
「なんでっ?」って聞いたら、チョコレートの匂いがしたんだって…(*^^)v

前の晩に工場で働くと言っておいたから、お土産にチョコレートが貰えると思って待っていたんだろうね。
工場では幾ら食べても怒られないんだけど、持って帰ることは出来なかった。
だけど一粒100~200円もするチョコレートなんて私の口に合わなくて、一つ食べただけで止めちゃった。

「給料日になったら買ってきてあげるからね…」
そう約束して、弟には暫く我慢してもらった。

初日から20日ほど働いた。
その頃になると、工場の中の雰囲気もがらっと変わっていた。

チョコレート、キャンデー、クッキーetc…。
私は全ての機械を誰よりも上手に使えるようになっていた。

それからアルバイトを探している友達に仕事を斡旋した。
就労者を大勢集めたことで、次月には時給を10円上げてくれると言われて嬉しかった。
たった10円なんだけどねっ(^^ゞ、外で働くようになって10円の価値は高くなった。

そして待ちに待った給料日の日がやって来た。
茶色い封筒の中には8万円と少し入っていた。
一ヶ月も働かないのにこんなに貰えるんだと思ったら有頂天になったよ\(^o^)/

その足で工場の中にある正規製品売り場に行き、一番大きな箱詰めを定価で買って綺麗に包装までしてもらった。
社割りという制度もあったんだけどね、弟には定価で買った高級品チョコレートを食べさせてあげたかった。
だけど今思うと、安くしてもらえば良かったと少々後悔してる。

給料を貰える何日も前から、給料日には早帰りしようと決めていた。
やっとその日が来て、急ぎ足で商店街に戻ると今日が給料日だったことを話して回った。

それも貰ったお金まで見せてね…。
高1でこれだけ貰えるんだから頑張ったってことでしょ…と言いたかったのかなぁ!?
もっと言えばね…、諸々の話を聞いて欲しかった。

だけどね…誰一人褒めてはくれなかったよ。
まるで哀れなものでも見るような眼をしてね、私を観て切ない顔までしてね…。
それでもなぁ~んにも言わない。

それならと、仲良しのたこ焼き屋(テキヤ)のおばちゃんならわかってくれるだろうと思って話をしに行ったらね、いつもならただでたこ焼きを食べさせてくれるのに、こっちも黙ったまま、寂しそうな顔して私のこと見てたっけ…。

年の瀬最後の逢瀬の時、こんな昔話を先生にした。
中華料理店で懸命に働くアルバイトの中国人女性を見ていたら、なんだか遠い昔のことを思い出しちゃった。

昔、私が貧乏人だったことを真剣に話したのは先生しかいないんだよね。
みんなそれなりには知っているよ。
だけどね、本気で話したりしないから、誰も本当のことは知らない。

貧乏が恥ずかしいんじゃないんだよ、だけどね、話したところで紙芝居みたいになっちゃうでしょ。
今の私を観て感じるものは皆違うよね。
それでも話しの最後は『目出度し目出度し』で過去を閉じられたら、それからの私が馬鹿にされてるみたいで喧嘩になっちゃうもん。

それから、靴屋でありながら小学生の分際でパチンコの景品交換もしていたよ。
交換品は男性用のポマードだった。
一つの箱に五本入っていて、玉の端数はむき出しのままで持ってきた。

中には落として欠けてしまった物もあれば、夏には中身が溶け出している物もあった。
ポマードの油が古くなると臭くて、もちろん元々が安物だから匂いだってどこかおじいさんぽかったけれど、交換品とはいえ商品は商品だから、キチンと雑巾で拭いてから二軒隣のパチンコ屋さんに買い取ってもらっていた。

その頃、暗算二級のお免状を持っていた私には、三桁の掛け算なんて暗算で十分だった。
だけど今のようにレジなんてないから、計算式が表に出ないでしょ!?

算盤を弾いたこともない人だっているから、計算機を使ってゆっくり数字を打ちながら、表示された金額を眼で観て了解してもらわないと納得してはもらえない。

子供だからって計算間違いすると思っている人が殆どだろうし、まさか珠算のお免状を店に貼っておく訳にもいかないしね。
相手が子供であろうが大人であろうが、勝負の負けが厳しいと店の前に唾を吐く奴もいれば、店の大切な商品を肘で落として帰る奴もいた。

そうされたらね、啖呵を切るんだよ。
相手が大人であろうが関係ないよ、店番している限り大人と同等であるべきだからね。

「お前が子供であろうが店に来た客にとって同じサービスができなければ商売人として一人前ではない」
と父にすっぱく教わってきた。

もちろんそうだよね。
私の説明が粗末であっても足りない分を値引きしないのだから、満足して帰ってもらえなければ父や母と同じ物を売る資格はないのだからね。

「…お前、いい経験したな」先生がそう言ったよ。
哀れみなんて微塵も感じさせないくらい、まっすぐした眼で言ってくれた。

始めてアルバイトで貰った給料のことを話した時はね…
「お前、商売人の魂を売ったんだよ」と言われた。

先生の言葉を聞いたら、ボロボロと涙が出ちゃったよ。
今更、遠い過去の出来事なんて悲しくなんてないんだよ。

人から苛められるなんていうはね、みんなと違うことするから打たれるんだよね。
打たれるのが嫌なら、皆と同じように黙って生きればいいんだよ。
それでも人より頭一つ上に出たいと思ったら泣くもんじゃないよね。
泣いたらね、ただの甘えになってしまうのだからね。

あのね、本当はね、商店街のみんなにも先生と同じように叱ってもらいたかった。
だってね、私だって本当はそう思っていたのだから…。

それでも、どうしてもお金が欲しくって、お金があれば幸福だって買えるような気がしてた。 
だから、高校卒業するまでアルバイトは辞められなかった。

それでもお金が欲しかった…お金が欲しくて何が悪い」と声を大にして言いたかった。
たったそれだけのことだった。だから今になって泣くのは可笑しな話だと思っているよ。
つづく…

追伸…

新年のご挨拶もそこそこに心の内を書き殴ってしまいました。

親族と迎えた年頭の挨拶にも「おめでとう」の言葉は付けられないような気持ちになりました。
杯を片手に誰もがそう思いながら、それでも他の言葉を捜そうとしても見つかりません。
ずっとそうしてきたからです。

沢山の悲しみを抱えた人達のことを思うと、浮かれる心を潜めるべきだと思います。
けれど、新たな年を迎えられた喜びを隠す必要もないような気がしました。

悲しみと喜びは、足して引くものではありません。
悲しみは悲しみとして受け止め、喜ぶべきことは心から楽しむ。
二つを合わせてしまえば、本来見えるべきものまで見えなくなってしまうような気がしています。


風のエオリアさんへ…

コメントありがとう(^^)v
えへへ!一番弟子も何も…私を師匠と呼ぶのはあの人しかいないはずです(^_-)-☆

うん、お元気そうで良かった。
ブログが消えてしまってから気にしていました。
でもお二人が相変わらずの関係だとわかって安心しました(*^^)v

父の寂しさは、わが子である私にも計り知れません。
私にとっては母としての記憶であっても、父にとってはこの世の中で一番愛しい女の記憶なのですから、共有することは難しいでしょうね。

だけどね、父と母のことを考える時、女が男を泣かしてはいけないと思います。
男ってね、本当は女よりデリケートでナイーブで寂しがり屋さんだからね…。

昔のように…
愛する人を思う心が溢れてしまいそうな時は、またここに書いてくださいね。
「所場代くれ!」などと、けち臭いことは言いませんので安心して惚気てください。

まあね、たまには愚痴もいいですが…
愛の歌を唄うなら、優しいメロディーが心に潤います\(^o^)/

Keyさんへ…

あれれ!泣かせちゃったかなぁ~…ごめんね!

私がkeyさんに幸せを差し上げることはできないかもしれませんが、
それでも先生と私がこうして二人でいることを、喜んでくれる人がいることが嬉しい。

私が呑気でいることで、少しでも楽しい気持ちになってもらえるのなら、
これからも沢山のことに出会い、いっぱい笑って過ごそうと思います。

先生へ…

先生、私達も今年で50歳になるんだね。
二人分足したら100歳だなんて、なんだか可笑しいよねっ(^_-)-☆

「不倫とわからない年になったら、温泉旅行しよう」と言われた昔に、今があるなんて予想も出来なかった。

初めて一人で飛行機に乗り、先生が待ってくれている熊本に行った時は、本当にドキドキしちゃった。
近くを走る電車も上手に乗れなかったのに、一人でキップを買って飛行機に乗れるのか?心配だった。

先生ったら、出張先なのに沢山メールをくれたよね…。
飛行機に乗る前から、飛行機に乗っている間も、空港に着いた後もね…。

「わからなかったら電話をしろ…」と言われちゃうとね…、それだけで頑張れた。
「私にできないことなんて、何一つない!」そう思えたよ。

見知らぬ土地の初めて降りた駅で先生の姿を見つけた時は本当に嬉しくて、先生の会社の支社の近くだということもすっかり忘れて、大声で先生の名前を呼んで抱きついちゃたね。

何にも無い土地を旅して、遠い昔と変わらぬ時間軸の中を二人で歩いた。
あの橋の袂から見た光景は、今でも忘れない。

一度渡れば二度と戻ることの出来ない橋(境界線)の上に立てば、幾人もの女の試練を垣間見たようで切なくなった。
それでも牛達は、とても穏やかな顔をしていたね。

それがこの地の姿なのだと思った。
地図に無い旅は、いつも摩訶不思議な出来事が多いけれど、それでも先生と旅をしていると、私達は生まれた時から一緒だったような気がする。

えへへ!私の想像世界かもしれないね…。
だけどね、想像世界を現実世界にしてしまうことに、人生の楽しみってあると思うんだよ。
美月

最後まで読んでくれてありがとう 
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